真実は? ヒトが日本列島に到達してから現代日本人になるまでの「3つの説」

日本列島人の生きてきた時空【後篇】

日本列島人の成立に関する通説

前篇(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90477)では、日本列島人の生きてきた時間と空間についてみてきました。

前編はこちらから

この時間と空間の中で、どのように現在の日本列島人になっていったのか。実は、日本人成立に関する説はいくつかあります。

現在の日本列島に住んでいる人々と、さまざまな時代の人々のあいだにどのような関係があるのかについては、昔から多数の説がありますが、大きく以下の3種類の考え方に分かれます。

  1. 置換説:日本列島に渡来した第一の移住者の子孫は先住民であり、それとは系統の異なる第二の移住者の子孫が現在の日本人である
  2. 混血説:日本列島に渡来した第一の移住者の子孫に、それ以降の移住者が混血をして、現在の日本人となった
  3. 変形説:日本列島に渡来した第一の移住者の子孫が、時間的に変化して現在の日本人となった

置換説について

置換説は、江戸時代末期に発表されたフランツ・シーボルトのアイヌ説が最初です。

シーボルトは日本の研究を志しましたが、ドイツ人であるので長く日本にいることはできませんでした。そこで、当時唯一日本と貿易が可能だったオランダ人と偽ることで日本に滞在することができました(彼の息子も日本の研究をしたため、両者を区別するために、父を大シーボルト、息子を小シーボルトとよぶことがあります)。

【写真】シーボルトの肖像画フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボル(長崎の画家・川原慶賀による肖像画)  photo by gettyimages

父の大シーボルトは、アイヌの人々がかつては日本列島全体に生息していた先住民の子孫であり、一方現代本土日本人は、日本神話に登場する天孫降臨族(てんそんこうりんぞく)が大陸から渡来したものの子孫であるとしました。その後、この考え方は先史時代人骨の研究を行なった解剖学者・人類学者の小金井良精(こがねい よしきよ)によっても支持されました。

アイヌ以外の先住民を想定した説も

明治初期に、いわゆるお雇い外国人教師として、帝国大学(現在の東京大学)で動物学を教えた米国人エドワード・モースは、考古学にも興味をもち、大森貝塚を発見しました。

その発掘結果をもとにして、日本列島にはアイヌの人々の祖先とは別の先住民がいたという説を提唱しました。これはプレ・アイヌ説とよばれますが、モースは晩年にはシーボルトと同じ、アイヌが日本列島の原住民だったというアイヌ説に変わっています(寺田 和夫『日本の人類学』、1981)。

【写真】大森貝塚遺跡庭園にあるモースの像大森貝塚遺跡庭園(東京都品川区)にあるモースの像 photo by public domain

日本人類学会を創始した坪井正五郎は、このプレ・アイヌ説に似通ったコロポックル先住民族説を唱えました。コロポックルとは、アイヌの民話にでてくる身長の低い人のことです。この説は現在では学史にのみ残っているだけですが、後に佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』をはじめとするコロボックル物語という童話の名作を生みました。

ある地域において人類集団が置換すること、つまり完全に人間が入れ替わることは、実際に例があります。カリブ海のキューバ島には現在多数の人々が住んでいますが、かつての先住民の系統はすべて死に絶えたとされています。

日本列島でも、全体の集団が置換とはいえないものの、過去に置換があった可能性はあります。たとえば、沖縄からは2万年ほど前の港川人が発見されていますが、彼らと現代沖縄人が系統的につながっているのかどうかは、わかっていません。

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