2022.01.09

「鎌倉殿の13人」、これから繰り広げられる「あまりに壮絶な裏切り」の中身

小栗旬の父・北条時政の芸術的な謀略
加来 耕三 プロフィール

宰相・北条時政の権謀術数

頼家が2代将軍となって最初の正月元日、時政は「垸飯(おうばん)の儀」をつとめた。

この儀式は、将軍を招待しての盛大な饗宴を取り仕切る役で、つとめる者はすなわち御家人の筆頭、幕政実権のトップと目されたといってよい。

しかし、頼家はこの宿老13人の合議制に、納得しなかった。

そうなると、彼と時政との感情的な対立は、政治色を帯びずにはおかなくなる。結果、己れの権力を確固たるものにすべく、外祖父・時政は孫・頼家を窮地に追う。

北条時政/ウィキメディア・コモンズ

時政の仕かけた第1幕は、自分の娘で政子(まさこ)の妹でもある幕府の女房・阿波局(あわのつぼね)を使い、幕府の侍所に出仕してきた結城朝光(ゆうき・ともみつ)を唆(そそのか)せることからスタートした。

その前々日、朝光は夢に亡き頼朝の姿をみたといい、往時を追憶してつい、「昔はよかった。しかし、今は……」と愚痴ったあげく、忠臣は二君に仕えずというが、頼朝公がとめたので、それがしは殉死しなかったが残念である、というようなことを人々に語った。

そこで阿波局は、梶原景時があなたを将軍頼家に讒訴したと朝光に告げる。

頼朝の寵臣であった梶原景時は、坂東武士ではあったものの、めずらしく実務処理能力が高く、京下りの官僚とも意志疎通のはかれる人物であった。見方を変えれば、時政にとっては手ごわい存在であったといえる。

 

朝光は景時の讒訴を聞き、この一件を三浦義村(よしむら・義澄の子)に相談した。最初はいかに弁明するかを協議していたものが、いつしか話し合いは飛躍して、このさい景時を弾劾しようということになり、「鶴岡八幡宮の廻廊に同志は参集せよ」との廻状を、御家人の間にまわすまでに発展した。すると、66人が集った。

彼らは皆、御家人のくせに京下りの官僚たちと昵懇にする景時が、不気味でならなかったようだ。彼らは宿老13人の一・和田義盛を旗頭に、政所別当の大江広元へ「景時弾劾の状」を持参。将軍への提出を求めた。

だが、先代頼朝以来、将軍の側近として重きをなしてきた景時をはばかり、広元が提出を逡巡。義盛は膝詰談判に及んで、ようやく景時弾劾状は頼家の許ヘあげられた。

将軍頼時は、やはり父に似ないうつけ者であった。

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