「人殺し」も正当化……なぜ「左翼の理想」は過激化したのか?

「左翼史の核心」としての60年代
池上彰×佐藤優

「左翼史の核心」としての60年代

佐藤 第2巻となる本書が取り扱うのは左翼運動が最高潮に達しながらその後急速な凋落を辿っていった時代にあたり、左翼史全体を通じても特に歴史の教訓に満ちた時代です。まさに、この時代は「左翼史の核心」と言えるでしょう。

「左翼の功罪」という点で言うと、60年代は「罪」が強く浮き彫りになった時代です。何より、過激な学生運動と内ゲバ、70年代に起きたあさま山荘事件や過激派によるテロ事件の印象が強く、「左翼は危険な思想」という総括が決定的になってしまいました。

今に至るまで左翼が人々から敬遠される傾向が強いのは、これらの事件が日本の社会に記憶されているからです。

池上 なぜ左翼は失敗したのか。この本では一貫してこの問いに立ち返ることになるでしょう。そして、左翼の顚末を歴史の教訓として総括することは、最も学生運動が盛り上がっていた1968年に大学生になった私の使命でもあります。学生だった時の記憶を思い起こしながら、歴史の真相に迫っていけたらと思います。

佐藤 新左翼を主役とする学生運動はどのようにして盛り上がり、そして挫折したのか。その理由はなにか。そしてこの流れに社会党と共産党はどうかかわっていたのか――。本書ではこれらの論点について、池上さんとの対話を通じて検証していきたいと考えています。

 

日本の資本主義をどう理解するか

池上 本格的に話を始める前に、まずは前巻『真説 日本左翼史』の内容を骨子の部分だけでもおさらいしておくことにしましょう。

佐藤 そうですね。まず読者に思い出してもらいたいのが、戦前の日本のマルクス主義者たちの間で、日本の資本主義をどう理解するかをめぐって議論があったことです。

岩波書店の『日本資本主義発達史講座』(1932年5月〜33年8月、全7巻)の執筆者であったことから「講座派」と呼ばれた経済学者たちは、日本の資本主義が「絶対主義的な天皇制」「地主的土地所有」「独占資本主義」という三者が分かちがたく結びついた体制であるとみなし、まずは天皇制を打倒する人民革命を起こして普通の資本主義国をつくり、しかるのちに社会主義革命を起こす「二段階革命」が必要だと考えました。

「原始社会→奴隷制→封建主義→資本主義→社会主義」というマルクス主義が想定する社会の発展段階論に従えば、日本はまだ資本主義にも到達していない遅れた段階だと考えたのです。この講座派の理論は、1922年7月に結成されていた日本共産党の基礎理論にもなりました。

それに対して、政治雑誌『労農』に執筆していたことから「労農派」と呼ばれた向坂逸郎、山川均などのマルクス主義者たちは、日本が講座派の言うような特殊な国だとは考えませんでした。

明治維新は不完全ではあったものの欧州のブルジョア革命に相当するものであり、明治以降の日本はすでに資本主義国になっていると考えたのです。「労農派」は「講座派」としばしば対立し、後に日本社会党の源流ともなります。

この2つの水脈が、共産党と社会党の国際認識や国内政策の相違にもつながっていきますので、講座派と労農派の系譜を整理することが大切です。

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