あるいは時代劇スターの三船敏郎は自ら三船プロダクションをつくりましたが、映画でうまくいかなくなり、71年にテレビに主戦場を移します。そこで最初に作ったのは、自らが大石内蔵助を演じた『大忠臣蔵』でした。これも「三船プロダクション単体の力で、1年間のオールスター忠臣蔵を作る力があるぞ」とテレビ界に誇示するものだったわけです。

日本テレビが「年末時代劇スペシャル」と銘打って「紅白歌合戦」の裏に時代劇のスペシャル枠を作った際の第一回も、忠臣蔵でした。里見浩太朗が大石内蔵助で、森繁久彌が吉良上野介。これも、「紅白歌合戦の裏にぶつけるだけの時代劇を、うちは金をかけて作るぞ」という宣言でもあります。
テレビ東京は「開局二十五周年記念作品」を12時間ドラマで作りましたが、これも九代目松本幸四郎(現・白鸚)が主演の『大忠臣蔵』でした。
またフジテレビは80年代後半から90年代初頭にかけてトレンディドラマやバラエティ番組で隆盛を極めますが、この時に「自分たちは映画会社の力を借りずとも独力で忠臣蔵が作れるということを示したい」と、仲代達矢主演で『忠臣蔵』を作りました。
アニバーサリー系で一番大げさなタイトルをつけたのが「日本映画誕生百周年記念」として東宝が作った、市川崑監督、高倉健が大石内蔵助を演じた『四十七人の刺客』です。
そうやってアニバーサリー的な看板を背負っての大規模なプロジェクトにふさわしい大ネタとして、忠臣蔵というのは機能し続けてきたのです。