2021.12.17

ベケット、ツェラン、吉増剛造…「言語を枯らす」偉大な詩人の系譜

『詩とは何か』刊行に寄せて
「現代最高の詩人」吉増剛造。その活動は詩作のみにとどまらず、造形作品やパフォーマンスなど多岐にわたります。
60年の詩業の果てに辿り着いた境地を縦横無尽に語り尽くした新刊『詩とは何か』の刊行に寄せて、日本文学研究者で自らも詩人として活動する林浩平氏に、現代の文学における吉増剛造の偉大さを語っていただきました。

現代最高の詩人

本書の帯の惹句に注目ください。

「現代最高の詩人による究極の詩論、ついに登場!」、こうした惹句は、大概が景気の良い派手な修辞が並ぶもの、この場合も然り、というので、多くのひとはあまり気に留めることもないでしょう。

しかし、「現代最高の」、この言葉をほんとうに冠にして形容できる詩人は、日本国内のみならず、世界を見渡しても、吉増剛造ただひとりではないのか。わたしはそう確信します。

吉増さんは1964年の25歳の時に『出発』でデビューして以来、つい先日の『Voixヴォア』にいたるまで、20冊以上の詩集を出してきましたが、60年に及ぶ詩歴のなかでそのスタイルは千変万化し続けています。一ヶ所に滞留することは絶対にありません。

ただし、読者の記憶に刻まれ易い、いわゆる名フレーズを残すこと、これは大詩人であることの条件だと思うのですが、その点で吉増さんは、初期の「バッハ、遊星、0〔ゼロ〕のこと」に始まり、最近の「イ〔i〕の樹木〔き〕ノ君〔キミ〕が立って来ていた」まで、たくさんの素晴らしい詩の言葉を一貫して生み続けてきました。

芭蕉の名言「不易流行」を引くまでもなく、時代の動きに鋭敏に感応して次々と既成のスタイルを踏み破りながらも不易なものをめざす、まさに吉増さんはそれを体現してきたわけです。

「全身詩人」の多彩な活動

また吉増さんの詩人としての活動は、ただ原稿を書く、というに留まりません。

多重露光という独自の手法で刺激的な映像を生む写真の世界、動画撮影、即興のナレーション、効果音や小道具まですべてを現場でひとりで行なう、gozoCinéの映像制作、さらには、「怪物君」と名付けて、自筆文字の原稿用紙にインクを垂らせて過激な色彩の氾濫を現出せた造形作品の制作まで、表現の領域を縦横無尽に往来する現代アーティストと称していいでしょう。

造形作品『怪物君』の一つ

それに加えて、舞台で自作詩を朗読する吉増さん、声を大きく張り上げる際の身振りなどは、ご自身が親しかった舞踏家の故大野一雄さんを彷彿とさせます。ほとんど舞踏パフォーマンスです。

こうした活動も、吉増さんには、すべて詩の実践、詩人としての表現行為に他ならないのです。2016年に東京国立近代美術館で開催された吉増さんの個展のタイトルに、「全身詩人」という言葉が使われたのもこうした理由からでしょう。

 

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