三遊亭円丈が亡くなった。
寄席や落語会でこの人を見かけるたびに、「伝説の人」とおもって眺めていた。
円丈は、私にとっては生前からすでに伝説上の落語家だったのだ。
名人と呼ばれる落語家たちはいつの時代もいる。
客を沸かせ、魅了し、うまいなあと唸らせる人たちである。
ただ、その人が出現したことによって落語そのものの歴史が変わった、という人はそう幾たりもいない。
元禄期の鹿野武左衛門、天明期の烏亭焉馬、明治初期の三遊亭圓朝など、彼らは自ら落語そのものを創作し、それを多くの後継者たちに伝え、落語そのものの形態を変えていった。
まさに斯界の「巨人」とも言うべき人たちである。
私がおもうに、三遊亭円丈はその流れにある特異な落語家である。
彼は確実に落語の流れを変え、21世紀の落語世界の新しい流れを作った。
寄席で彼を見るたびに、「この人はもはや伝説の噺家なんだよなあ」と眺めながら、同時に「にしてもあいかわらず場の空気と関係ない大声で話すよなあ」とおもって見ていた。
独自の落語を作り続けた
「新作落語」の人である。
独自の新作落語を作り続けた人であった。
三遊亭円丈は、六代目三遊亭圓生の弟子である。
六代目圓生は、昔から語り継がれる落語をきちんと演じ、またそれを後世にきちんと伝えようとした正統派の落語家だ。「圓生百席」というレコードを残し、江戸落語をきちんと伝え、実際にいまでもその音源は重宝されている。