幼少期から母の虐待に苦しんでいた若林奈緒音さん(わかばやし・なおと/仮名)。自分のままでいいのかという疑問を持ちながら生きてきたが、30代での結婚が、彼女に自己肯定感を与えてくれたという。40代になってはじめて辛かった過去を振り返り、自分が受けてきた内容に向き合う覚悟ができた。

幼い頃から殴られ、罵られ、彼女の顔は骨が歪んでいることもわかった。手にはケロイドのあとが残っている。それでも改めて思うのは、自分が母に愛されたかったのだという強い思いだったという。そしてまた、母も苦しかったからこそ、子供の愛し方がわからず歪んでしまったのだろうとも感じている。

その事実と向き合い、自分と同じ苦しみをほかの誰かが感じないようにと仮名で体験を告白することを決めた連載第2回目の前編では直に聞かされてきた「母の苦しみ」についてお届けした。中学のときに母を亡くし、高校にも行けずに父や弟妹のために働きづくしだった母は、若くして結婚し、不慣れな土地で、20代前半奈緒音さんにくわえ兄と妹の3人の子を育てていた。しかし、父は早朝から夜中まで仕事が忙しく、家に帰らぬ状況での一人きりの育児。その辛さはすべて、奈緒音さんに向けられていくのである――。

父:トラック運転手。男3人(兄と弟)、女4人(姉3人、妹1人)7人兄弟の次男。
母:父の4歳年下。中学生のときに実の母を、結婚前に父を亡くした。4人の姉は先に嫁ぎ、さらに弟と妹がいる。
兄:奈緒音さんの2つ年上
妹:奈緒音さんと年子。病弱
祖母:奈緒音さんが10歳のころ60代

兄を溺愛、病弱な妹をかばい、標的は…

母は、最初の子である兄を溺愛していた。母親にとっての男の子は特別なようだった。「お兄ちゃんはいいの」が口癖だった。

兄を幼稚園に入れる頃、最初の家から引っ越した。近所に、歳の離れた3人子供がいる、面倒見が良い女性が暮らしていた。その女性と仲良くなり、姉のように慕っていた。一緒にママさんバレーにも入った。1歳年上の末の女の子とは幼馴染として、私たち兄弟も仲良くなった。

妹は生まれてすぐに先天性の病気で、幼稚園くらいまで、何度も入退院を繰り返した。
そのため、兄も私もまだ小さいにもかかわらず、祖父の家や近所の方に預けられた。父は末っ子で病気がちだった妹をとても可愛がった。年子とは思えないくらい体も小さかった妹。真ん中の私は常に「あなたは女の子でしょ。お兄ちゃんはいいの、男の子なんだから。あなたは妹でしょ」と言われていた。そして「あなたはお姉ちゃんでしょ。年上なんだから、大きいんだから我慢しなさい」とも言われ続けていた。私は、家族の中で、孤立しあぶれていた。

大切に手をつながれるのは兄か妹だった Photo by iStock

預けられているときに、それを感じていたのかわからないが、内孫で初めての女の子だった私を、祖父がとても気にかけてくれた。おじいちゃん子で、膝に座るのが大好きだった。逆に祖母からは、「女なんだから」と何かと厳しくしつけられた。幼稚園に上がる前から、女は家に上がるとき、必ず全員の靴を揃える。食事は男性が食べてから、残ったものを台所で食べる。お正月やお盆の集まりでも、男性が飲み食いしている横で、女性はずっと忙しく立って食事を運んでいた。誰も不満を言わない、男性が優位の家だったのだ。

中でも、祖母と父の姉である伯母からは、箸の持ち方から口の利き方まで、「女はこうしなさい」と言われ続けた。祖父が私を呼び、膝に座らせ、魚の骨を取って口に運んでくれようものなら、祖母から「なおちゃんこっちおいで。早く、いいからこっち来なさい」と呼ばれ、台所でお尻を叩かれた。祖父の前では優しい祖母。しかし私が可愛がられることを許さず、暴力をふるうのだ。私はだんだん、大人の顔色を伺うようになっていった。