幼少期から受けてきた母の暴力により、顔の骨が数ヵ所歪んでしまっていることもわかったというのが40代の若林奈緒音(わかばやし・なおと/仮名)さん。彼女の手にはよくみるとケロイドの跡が残り、痛々しいなにかを物語っている。

ずっと「私が悪いんだ」と思いながら生きてきた奈緒音さんは、30代でした結婚で初めて自己肯定感のようなものを抱けた。そして自分が受けてきた暴力に対して、口を開くことができるようになったのだという。

「自分が体験したことが少しでも加害してしまうだれかや、同じようにされている誰かの力になるのなら」ーーと仮名で語り始めた虐待の実態。1回目は、バレーボール選手にさせたい母親の異常なまでのコントロールと暴力について綴っていただいた。
その2回目は、奈緒音さんが母から聞かされ続けてきたという母の苦労と、父方の祖母と母の関係に巻き込まれた悲しい思い出についてお伝えする。

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中学生のころに母を亡くした母

私は物心ついたときから、母から繰り返し自分の苦労話を聞かされて育った。
母は、中学生の時に母親を病気で亡くした。家には昔ながらの堅物の父と、幼い弟妹。4人の姉たちはすでに嫁いでいたため、家族の中心となり、家事やお世話などを一手に引き受けた。自分もまだまだ子供で遊びたい盛りでもあったであろう。今なら、完全なヤングケアラー。

母は責任感が強く、完璧主義なところがあった。昔の家なので、『女とはこうでいなきゃいけない、こうしなくちゃいけない』が頭に刷り込まれていた。幼く、自身も母親に甘えたい年頃だったはずの当時、母はオリンピックや漫画の影響でバレーボール選手になるのが夢だったが、選択肢を与えられることなく、ただ諦め、我慢して父や弟妹の世話をする道しかなかった。

高校進学も諦めざるを得なかった。友人たちと遊んだり、寄り道をして買い食いしたり、同級生の男の子と初デートする。そんな、多くの年頃の子が当たり前にする楽しみとはかけ離れ、青春時代と呼ばれる時に近所の繊維工場で働きながら家の家事を一手に引き受けていた。

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祖父同士が知り合いだったと言うことで、20歳になる頃、父とお見合いし結婚することになる。上の4人の姉たちもお見合いで嫁いでいた。母にとっては、誰かを好きになって恋愛し、デートして関係を育む経験をすることもなく、親が決めた、1~2度しか会っていない男性と家族を築くことになった。当時はそういう結婚もまだ多かったのだろうが、恋愛結婚も増えてきた時代のことだ。

結婚の日取りも決まり、田舎の家なので、来たる日に娘を送り出すため、家の屋根を祖父自ら直していた。人一倍苦労を掛けた娘に対して、せめて恥じない家から送り出すことが、父としてできる最後のことだった。