2021.12.09
# 日本史

「無差別爆撃」を発案したのは山本五十六…という説は本当なのか?

真珠湾攻撃から80年を経て
大木 毅 プロフィール

なるほど、海軍航空隊による南京爆撃は、軍事目標に対する限定的な攻撃から、非戦闘員の殺戮によって敵国民の継戦意志をくじくことを目的とするテロ爆撃へのエスカレーションを示すものであった。この後、武漢、上海、広東などの都市にも爆撃行は行われる。

「これら一連の作戦は、出撃機数、投弾量、機動距離のどれをとっても、間違いなく世界航空戦史に例を見ない、大破壊力と残忍さの記録更新を示すものといえた」(前田哲男『戦略爆撃の思想』新訂版)。

山本五十六[Photo by gettyimages]
 

山本はどこまで関わっていたのか?

こうした航空作戦と山本は、どのように関わっていたのか。

歴史家の笠原十九司は、鹿屋・木更津両航空隊を麾下に置く第一連合航空隊司令として、渡洋爆撃の指揮を執った戸塚道太郎大佐のエピソードを引いて、山本の心境を以下のように推察している。

1936(昭和11)年に戸塚が館山海軍航空隊司令を命じられたときのことだ。軍艦の艦長を希望していた戸塚は、この異動を不服として、人事局にねじこみに行ったところ、航空本部長に訊けと、山本のもとに回された。

山本は、戦艦長門や陸奥をはるかに凌駕するほどの威力を持つ九六式陸攻が館山航空隊で実験研究中だと打ち明け、その威力を発揮するのは戸塚しかいないと見込んで、同航空隊を任せるのだと励ましたという。

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