2021.12.09
# 日本史

「無差別爆撃」を発案したのは山本五十六…という説は本当なのか?

真珠湾攻撃から80年を経て
1941年12月8日、日本軍が遠く離れたハワイを急襲した「真珠湾攻撃」によって、太平洋戦争が始まった。その作戦を実現可能としたのが、度重なる中国本土への「無差別爆撃」だ。実はこの爆撃について、日本海軍の山本五十六が発案者だったという説がある。いまだに真偽が定かではない同説について、『「太平洋の巨鷲」山本五十六』での議論を紹介しよう。
 

原爆投下にもつながった「無差別爆撃」

1937年8月14日、台湾の松山飛行場に進出していた鹿屋海軍航空隊は、九六式陸攻9機を杭州の筧橋飛行場と喬司飛行場に、別の九機を広徳飛行場に向けて出撃させた。当時、内外に喧伝された「渡洋爆撃」、東シナ海を渡る長距離爆撃の開始である。

翌15日には、鹿屋航空隊の陸攻14機が南昌を爆撃するとともに、木更津海軍航空隊が九州の大村飛行場から陸攻20機を出撃させ、南京を攻撃した。さらに16日には、鹿屋航空隊の陸攻6機が南京、別の7機が揚州を爆撃、木更津航空隊の陸攻九機は進出先の済州島基地から出撃して、蘇州を空襲している。

軍事的にみるならば、日本の航空戦力がきわめて発展した段階にあることを示す一挙であった。第一次世界大戦でドイツの大型機や飛行船が英本土を空襲した例はあったが、それ以来初めて、しかも全金属製の航空機が、悪天候を衝いての長距離洋上飛行の末に爆撃に成功したのである。かつて航空本部長として陸攻の開発、部隊配備に尽力した山本にとっては、会心の作戦であったにちがいない。

しかしながら、この爆撃行には、今日、倫理的な批判が浴びせられている。かかる空襲こそ、中国の首都南京ほかに対する無差別爆撃の嚆矢となったのであり、その非人道的な作戦を敢えて実行したことは、やがて、米軍による日本爆撃、ついには広島・長崎への原爆投下につながったのだというのだ。

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