1年延期された東京オリンピックを終え、冬季オリンピックまであと数カ月に迫った。そんな中、日本の女性史上初の6大会連続冬季オリンピック出場を目指すアスリートがいる。2014年ソチオリンピックで女子パラレル大回転で銀メダルを獲得した竹内智香さんだ。オリンピック初出場は2002年ソルトレークシティオリンピック。そこから、日本代表として計5大会のオリンピックに出場してきた。その間に、スイスへ拠点を移し、スノーボードのブランド設立。さらに2018年の平昌オリンピック後に、選手の育成をサポートするプロジェクトを始める。さらに2020年には本格的に北京オリンピックを目指すことを発表。同時期に、卵子凍結を行ったことがメディアにも大きく取り上げられた。

アスリートとして生きながら、女性としての生き方も考える。スノーボードをどこまでも愛しているからこそ、彼女の決断には迷いがない。常に目標に向かって前進し続けている竹内選手の強さに、飛び込みの元日本代表である馬淵優佳さんが迫った。その前編では、これほどアグレッシブに活躍するまでにどのように育ったのかをお聞きしていく。

ソルトレイク冬季五輪で銀メダルをとったときの竹内選手 Photo by Getty Images
-AD-

まずは「オリンピックに出たい」から始まった

北海道旭川市に生まれ育った竹内選手にとって、スキーは身近なスポーツ。ウインタースポーツが盛んな土地柄もあり、スキーとの出会いはごく自然なものだった。

「最初は2歳のときですね。競技としてじゃなくて、一般的に家族と行くスキーで。それで段々とウインタースポーツの方が好き、雪の季節の方が好きという気持ちが芽生えたんです。10歳の時、スノーボードが日本で流行り出して、私も始めました。それで14歳の時、長野オリンピックがあって、初めてアルペンスノーボードがオリンピックの正式種目になったんです。その試合を見て『スノーボードでオリンピックにいこう』というふうに決めたのがきっかけですね」

4歳のころ、父親とスキー場にて 写真提供/竹内智香

オリンピックに興味を持ったきっかけはもう一つある。
「元々、両親が乗馬をやっていて、特に父親の方が乗馬でオリンピックを目指していたんです。出場はできなかったそうなんですけど、オリンピックは身近な存在でした。父親がよく3人兄弟の私たちに『一人は後継ぎ、一人は実業家、一人はオリンピック選手になってほしい』と言っていて、物心つく前から聞かされていました。なので、なんとなくオリンピックには興味があって、出たいなと思っていました。普通は何かスポーツをやっていて、そこで才能が開花してその先にオリンピックがあるというのが多いと思うんですけど、私の場合は『オリンピックに出たい』という気持ちが芽生えて、『何のスポーツが自分にあっているのだろう』と考えた中で出会ったのがスノーボードだったんです」

採点競技ではなく、タイムで勝敗が決まるシンプルさも、スノーボードアルペンの魅力の一つだと話す。

幼い頃から仲のいい兄妹だったという。長男は設計士、次男は調理師として両親の旅館を受け継いでいる。まさに兄妹三人ともが親の言葉を実現させている 写真提供/竹内智香