2021.12.10
# ライフ

ノーベル賞受賞者・山中伸弥教授の想い「なんとか、死ぬまでに研究で人を救いたい」

藤井聡太×山中伸弥 スペシャル対談(6)
分野は違っていても、過酷な競争の世界で最前線で前人未到の挑戦を続ける藤井聡太棋士と山中伸弥教授。彼らの日常の準備、学び方、メンタルの持ち方、AIとの向き合い方…。日々努力を続けるすべての人へ贈るメッセージを『挑戦 常識のブレーキを外せ』からピックアップしてお届けします。

人生何が良くて何が悪いかわからない

山中    僕の研究室には「人間万事塞翁が馬」と書いた書が掛けてあるんですよ。

藤井    はい。初めて研究所に伺った際にお見かけしました。

山中    前もお話ししたけど、人生いろんなことが起こるけれど、何が良いことで、何が悪いことかなんてわからない。これは僕の経験則なんです

僕は医学部を卒業して最新の設備が整った病院に行けたと思ったら、指導医の先生がもう鬼より怖くて、手術のじゃまになるから「ジャマナカ、ジャマナカ」と毎日叱られ続けました

Photo by iStock ※画像はイメージです
 

その2年の間に大好きだった父親を助けてあげられずに亡くしてしまったんです。ちょうど今の僕と同じくらい、58歳の時でした。もともと僕が医者になろうと思ったのは、父親から「お前は商売には向かん。医者になれ」と言われたからなんです。だから僕が整形外科医になった時は喜んでくれました。

父親が亡くなったのはC型肝炎ウイルスによる肝硬変のせいです。当時はまだ未知のウイルスで、当然、治療法もまったくない。特効薬ができたのは2014年だからウイルスが見つかってから25年後です。当時、この薬があったら、僕の父親はひょっとしたら九十何歳で今も生きているかもしれません。

指導医からはじゃまにされるし、整形外科医としては治療の手立てがない重症の患者さんをどうにもできないし、医師という職業に就きながら自分の父親さえ助けてあげられなかったこともあり、無力感にさいなまれ、すっかり自信を失いました。「基礎研究をしたら重症の患者さんでも救える治療につながるかもしれない」と、大学院に入り直して研究者の道に進みました。要は結局、臨床医の世界から逃げ出したんですね。

大学院を卒業して留学先のアメリカで研究がうまくいって「天職を見つけた!」と喜んで日本に帰ってきたら、これがまたうまくいかない。やっていたのは実験動物のマウス数百匹の世話ばっかり。研究者としての自信をなくして、うつ病みたいになって、もう一度臨床の外科医に戻って一からやり直そうとまで思いました。でも臨床に戻るタイミングを逃しているうちに奈良先端大の募集で採用されて、それがiPS細胞の発見につながるんですよ。

藤井    それでノーベル賞の受賞ですね。本当に「患者さんのために」という気持ちを持たれて研究されていると感じるんですけど、やっぱりその気持ちはずっと変わらずに持たれていたんでしょうか

山中    僕は一時、臨床医だったでしょ。何やかんや言っても、研究しながらも結局十年ぐらいは臨床をやっていたんです。でもお話ししたように、臨床医としては患者さんの役に立っていない、なんとか「死ぬまでに研究によって人を救いたい」と思っているんです。

あと何年生きられるか。親友の平尾誠二さんが突然病気になって、突然亡くなってから、ずいぶん僕の人生観が変わりました。研究も「今できることをやっておかないと」「できることは今しよう」と思っています。だから一生懸命やっています。

そんなん言うてたら100歳まで生きるかもしれないし(笑)。「もし僕も死んで平尾さんに会えるんやったら楽しいな」とすごく思うんだけど、妻から「そんなん絶対ないわ。死んだら終わりよ」と言われるんです。妻は医者、臨床医ですから。

関連記事