伊勢神宮と出雲大社の違い、あなたは答えられますか?

神社から読み解く日本の信仰
日本を代表する神社として名高い伊勢神宮と出雲大社。観光地としても人気の2つの神社ですが、その成り立ちに大きな違いがあることをご存じでしょうか。日本の民俗研究の第一人者である新谷尚紀氏によれば、そのような古来の信仰における両者の差は、現在の神社の姿にも現れていると言います。

神社を通して日本古来の信仰のかたちを明らかにする新刊『神社とは何か』より、伊勢と出雲の意外な違いをお届けします。

「宮」と「社」の違い

伊勢神宮と出雲大社の社殿とその特徴について説明してみよう。「みや(宮)」というのは、『日本書紀』や『万葉集』ではもともと天皇の坐(いま)す建物という意味で使われており、それに対して、「やしろ(社)」というのは、もともと人びとによってまつられていた自然の神の「やしろ(社)」という意味であった。

呼び名からしても、伊勢神宮は神の「宮」であり、天皇また皇祖神の天照大神の坐す宮(みや)である。出雲大社は杵築(きつき)の「おおやしろ(大社)」であり、出雲大神の大己貴神(おおあなむちのかみ)を祭る社(やしろ)である。

では、伊勢神宮と出雲大社は天照大神と大己貴神が常在する住居としての建物なのか否か、という問題については、次のように説明しておくことができる。

伊勢神宮は、天照大神の御正体(みしょうたい)の神鏡が内宮(ないくう)に奉斎されており、大神はそこに常在されて多くの祭祀が奉仕されているといってよい。しかし、天照大神は大きくは常に高天原に坐す神であり、内宮にのみ常在されているわけではなく、高天原から地上を見守っている神ともされている。

そこで注目されるのは、御正殿の東西の妻(つま)の梁(はり)の上にある束柱(つかばしら)に穿ってある御形(ごぎょう)と呼ばれる鏡形の穴である。遷宮の社殿造営のたびごとに御形祭(ごぎょうさい)といってその鏡形の穴が穿たれるのである。

それは延暦23(804)年の「皇太神宮儀式帳」にも記されているほど古くからの重要な儀式である。厳重に封鎖された神聖な御正殿であるが、その東西の鏡形は高天原に坐す天照大神と御正殿に奉斎されている神鏡の御正体との回路の存在を考えさせられるものである。

つまり、伊勢神宮の御正殿は天照大神の常在されている建物であると同時に、天照大神はその御正殿の中にだけ常在されているわけではなく高天原に坐す神であるということである。

「神」は神社にいるのか?

出雲大社の場合はどうか。出雲大社は古代の豪族の宮殿建築であり、田の字型九本柱の本殿の内部中央の岩根柱(いわねのはしら)の後方、正面から向かって右奥の間に西方に向いて小型の流造の内殿がまつられている。

大己貴神はその内殿に鎮座しておられ、そこに常在の神として多くの祭祀が奉仕されている。そこで、『古事記』や『日本書紀』の神話伝承も参考にしておいてよいであろう。

『古事記』では、国譲り神話の中で自分の住所を天孫の住居のように大きな建物としてもらえば、自分は「百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)に隠(かく)りて侍(さもら)ひなむ」といって複雑に曲がり込んだところの先に隠れていましょう、といって隠れられたとある。

『日本書紀』の神代下第九段本文も同じく「百足らず八十隈(やそくまで)に隠去(かく)れなむ」といっている。

ただ、第九段一書(第二)では、高皇産霊尊が大己貴神に、これまで大己貴神が治めていた顕露の事はこれからは天孫が治めることとして、大己貴神は神事を治めることとしようといい、そのかわり大己貴神が住む宮殿は柱は太く高く板は広く厚くして壮大な宮として建てようといったのに対して、大己貴神は自分は「退りて幽事(かくれたること)を治めむ」といい、「躬(み)に瑞(みつ)の八尺瓊(やさかに)を被(お)ひて長(とこしへ)に隠れましき」とある。

つまり、神の事や幽の事を治める存在として、美麗な八尺瓊勾玉をたくさん御身に付けて、霊的な世界へと永遠に隠れられたと伝えているのである。

その神話を伝える祭祀の世界では、巨大な宮殿の中の内殿に常在の神として祭られると同時に、目に見えない神の世界にまたは幽れたる世界に常在されており、八尺瓊勾玉を身にまといそこから神霊の威力を発信している存在として信仰されているといってよい。

伊勢神宮も出雲大社も神の常在されている神社であるが、神の威力は異界から発信され続けているという祭り方が古代から長い歴史の中で伝えられてきているのである。

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