2021.12.05

「一生懸命やったことが戦後、馬鹿みたいに言われて」…“名戦闘機乗り”が最期に遺した「むなしい人生」の言葉

真珠湾の回想・第8回
神立 尚紀 プロフィール

「戦闘機乗り」が最期に遺した「むなしい人生」の言葉

戦争が終わり、飛行服姿のまま基地から追い出されるように郷里の広島に帰ってみると、原子爆弾の焼け跡で遊んでいた子供たちが私の姿を認めて、「見てみい、あいつは戦犯じゃ、戦犯が通りよる」と石を投げつけてきた。真珠湾から帰ったときは、道で会うと敬礼してくれた子たちです。もうやるせなくてね……。進駐してきた豪州兵にぶらさがるように腕を組んで歩く日本人女性の姿を見たとき、つくづく世の中が嫌になった。一時は自決も考えましたが、終戦直前に生まれた長男が、差し出した人差し指を無心に握ってきた感触がよみがえり、死ねなくなってしまって……。われながら情けない気がしました。

生きる道を探そうと横須賀に出てトラック運転手をやったり、福島の鉱山で働いたり、そのうち創設された海上自衛隊から、航空隊要員として入隊を要請されてその気になったんですが、身体検査で不合格になってしまった。

それで、父がかつて勤めていた東洋工業に入社して、ディーラーの山口マツダで車を売ることになったんです。ロータリーエンジンにはてこずりましたが、常務まで勤めさせてもらい、67歳で退職しました。その直後に大動脈瘤が見つかり、生死をさまようような大手術を受けて、いまは自宅で静かに暮らしています。家内には内緒なんだが、心臓の機能が衰えていて、医者には、いつ止まってもおかしくないと言われてましてね。

振り返ってみると、むなしい人生だったと思いますね。戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔いもありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて。つまらん人生でしたね……。

 

(筆者注:進藤三郎氏は昭和15年、零戦のデビュー戦を指揮し、16年、真珠湾攻撃では第二次発進部隊制空隊指揮官を務めるなど、戦史に名を残す著名な戦闘機乗りだが、ごく限られた範囲の親しい相手をのぞいては、戦争の話をすることを最後まで好まなかった。筆者の度重なる取材に応えてくれたのは、海兵同期で親友の鈴木實氏〈中佐。零戦隊指揮官。戦後キングレコード常務〉の紹介のおかげである。進藤氏は平成12年2月2日、自宅のソファで眠るように息をひきとった)

進藤三郎氏(1996年。撮影/神立尚紀)
筆者が制作協力した真珠湾攻撃80年関連番組「BS1スペシャル『真珠湾80年 生きて愛して、そして〜隊員900人の太平洋戦争〜」(仮)が、12月5日午後10時〜11時49分、NHK-BS1で放送予定です。

BS1スペシャル「真珠湾80年 生きて愛して、そして ~隊員900人の太平洋戦争~」(仮)
【放送予定】12月5日(日)[BS1]後10:00~11:49
80年前、太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃には900人近い航空隊の搭乗員が参加していた。彼らはその後、どんな運命をたどったのか。一人一人の記録をたどると、半数近くが開戦から1年以内に戦死し、生きて終戦を迎えたのは2割に満たなかった。卓越する技量を持つが故に、危険な最前線に投入され続けた者。死を覚悟する一方、家を継ぐために縁談を急いだ者。前線の基地から妻に宛て、焦がれるような思いの手紙を何通も送り続けた者。10年以上にわたり撮影してきた元隊員や遺族の証言を通して、“真珠湾の英雄”とその家族の、生と死を描く。
定価:1430円(税込)。講談社ビーシー/講談社。 真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた「大嘘」など全11章の、これまで語られることがなかった太平洋戦争秘話を収録。
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