物理学者が解き明かす、いずれ終末を迎える宇宙で私たちが生きる意味

『時間の終わりまで』読みどころ【1】
ブライアン グリーン プロフィール

科学は、人間が死を恐れるがゆえに発展した

その間も、私はまだ心理学のレポートにてこずっていた。その課題の狙いは、人類はなぜ諸々の営みに取り組むのかを説明する理論を作ることだったが、いざ何か書こうとすると、そのテーマはあまりにも漠然としすぎているような気がしたのだ。

もっともらしく聞こえるアイディアをそれらしい言葉で書き綴れば、不出来なレポートでもそれなりに取り繕えるだろう。私は寮で夕食を摂っているときに、ふとそんなことを口にした。すると、ひとりのレジデント・アドバイザー[アメリカの大学で、学生寮の監督にあたり、寮生の生活をサポートし、相談にも乗ってくれる人]が、オズワルド・シュペングラーの『西洋の没落』を読んでみたらどうかと勧めてくれたのだ。ドイツの歴史学者にして哲学者でもあるシュペングラーは、数学と科学のどちらにも長年興味を持ち続けた人物で、レジデント・アドバイザーがその本を薦めてくれたのも、まさにそのためだったに違いない。

その著作については毀誉褒貶があり、その原因となった部分はたしかに大いに問題があるし、悪質なイデオロギーを支えるために利用されもしたが(シュペングラーの本は、西洋の政治的な内部崩壊を予言したとしてもてはやされたり、暗にファシズムを擁護しているとして非難されたりした)、私は問題意識があまりにも狭すぎたせいで、そのあたりのことは何ひとつ記憶に残っていない。

そのかわりに私が興味を引かれたのは、大きく異なるさまざまな文化を縦断して存在する「隠れたパターン」をあらわにするための、包括的な一組の原理があるというシュペングラーの構想だった。

その隠れたパターンは、物理学と数学の知識を一変させた微積分やユークリッド幾何学によって詳しく記述されたパターンと本質的に同じだった。シュペングラーは私と同じ言葉を話していたのだ。歴史について書かれたものが、数学と物理学を進歩の典範として称揚するのも興味深く思われた。

【写真】シュペングラーは私と同じ言葉を話していたphoto by gettyimages

しかし、私が心底驚かされたのは、その本の少し後ろのほうで現れる次の言葉だった。「人間は、死を知る唯一の生物である。生物はすべて老いるが、人間以外の生物は、その生物にとっては永遠のように見えているに違いない瞬間だけに限定された意識を持って老いる」のであり、自分はいずれ死ぬという、人間だけが持つ知識ゆえに、「死に直面して、本質的に人間だけのものである怖れ」が、おのずと立ち現れるのである、と。そして、シュペングラーはこう結論づけた。「すべての宗教、すべての科学研究、すべての哲学は、その怖れに由来する」。

私はこの一行を熟読したのを覚えている。そこには人間の動機に関するひとつの考えが示されており、私にはその考えが妥当なものに思われた。

数学の証明に魅力があるのは、それが永遠に成り立つからなのかもしれない。自然法則が心に訴えかけるのは、それが時間を超越した特性を持つからなのかも。では、時間を超越したものの探究、永遠に保たれるかもしれない特質の探索へと、われわれを駆り立てているものはいったい何なのだろう? もしかすると、人は時間を超越していないということ、人生には限りがあることをわれわれは知っているということが、すべての始まりなのだろうか?

この考えは、少し前に気づいたばかりの、数学と物理学と永遠の魅惑に関するひとつの見方と響き合って、ずばり的を射ているように思われた。それは、誰もが知っている死というものへの当然の反応に基礎づけられた、人間の動機を理解するためのひとつのアプローチだった。それは、思いつきのような間に合わせのアプローチではなかった。

シュペングラーの引き出した結論について考えるうちに、私にはそれが何かもっと壮大なことを述べているような気がしてきた。シュペングラーが言うように、科学は、人生はいずれ終わると知ってしまったことへのひとつの反応なのだろう。宗教と哲学もまた、そんな反応なのだろう。しかし、科学と宗教と哲学だけなのだろうか。

フロイトの初期の弟子で、人間の創造のプロセスに興味を持っていたオットー・ランクに言わせれば、それだけのはずがない。ランクの見るところ、芸術家とは創造への衝動を持つ者であり、「その衝動は、儚い人生を永遠の命に変えようとする試み」だった。ジャン=ポール・サルトルは、そこからさらに進んで、人間が「自分は永遠に存在し続けるという幻想を失うとき」、人生そのものから意味が失われると述べた。

そうだとすれば、これらの思想家たちや、彼らに続く他の思想家たちに通底するのは、芸術の探究から科学の発見まで、人類の文化のかなりの部分は、限りある生命の本性について思索する生命によって駆動されているという考えだ。

これは、うかつに答えの出せる問題ではなかった。数学と物理学の幅広い領域に夢中になっているうちに、ふと気がつけば、生と死の奥深い二重性に駆り立てられた人間文明の統一理論などという考えにはまり込もうとは、誰が予想しただろう?

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