1993年、パリコレにモデルとして参加して以来、モデル活動に、執筆や講演活動にとフル回転。常に前向きかつフェアなメッセージと笑顔で、多くの人を元気づけているアン ミカさん。なぜアン ミカさんは、いつもポジティブに輝いているのでしょうか。アン ミカさんが今のアン ミカさんになった秘密を、「言葉」をキーワードにし、その言葉にまつわるエピソードをお聞きして紐解く本連載。読むだけで心がちょっとラクになる、ビタミンのようなメッセージを受け取ってください。

アン ミカさんの「仕事論」をじっくりお聞きしている連載10回。前編では、10時間立ちっぱなしでそれが1週間続くようなハードなモデル仕事でも喜んで受けていたということをお伝えしました。後編では、そのように受けてきたことがつながり、モデルとして大きなチャンスをつかむことになった時のことをお届けします。奇跡はどのようにして生まれたのでしょうか。

撮影/大坪尚人
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お給料日直後にお財布を紛失!

その頃の私はモデル業の他に、パーティーコンパニオンなど、いくつかのアルバイトを掛け持ちして生活費を稼いでいました。特に社長就任式などの企業のコンパニオン業務は、きっかり2時間で終わるうえ、マナーや美しい所作を学ぶことができますし、バイト代は1万円以上いただける。自分探しの真っ最中だった私には、とてもありがたいアルバイトでした。

ヘアスタイルは夜会巻き。長袖のブラウスにコサージュをつけてロングスカートを履き、入り口でトレー片手にウエルカムドリンクをお配りしていました。今でも私のサイン会などがあると、当時の仲間が顔を出してくれます。

バイト先には、友人とルームシェアをしながらギリギリの生活を送っている私を案じて、普段から差し入れをしてくれたり、お下がりの服をくれたりする優しい先輩がいました。ある日、感謝の気持ちを込めて日頃のお礼をしようと考えた私は、彼女をレストランにご招待しました。

ところが食事が済んでお会計をしようとしたら、盗まれたのか無くしたのか、バッグのどこを探してもお財布が見当たりません。少し前にお給料が出たばかりだったのに……。結局、私がお礼のごちそうをするはずが、逆に先輩におごっていただくことになってしまいました。

私はお金の貸し借りに厳しい家に育ったため、大切な先輩にお金を借りたままでいるなんて、気持ち的に耐えられませんでした。しかも今日を逃したら、先輩には次のバイト日まで会えません。ランチをした店が自宅から近かったこともあり、私は「貯金箱を開ければ予備のお金がある。それでお金を返そう!」と、大急ぎで家に帰ったのです。