2021.12.01
# 元素

12月1日 「ウラン」の発見者マルティン・クラプロート誕生(1743年)

サイエンス365days

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1743年のこの日、ウランなど3種類の元素の発見者として知られる化学者・薬学者のマルティン・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth, 1743-1817)が誕生しました。

現在のドイツ(当時はプロイセン王国)ザクセンアンハルト州のウェルニゲローデで仕立て職人の子供として生まれたクラプロートは、この手の発見をした人物としては珍しく大学には通っていませんでしたが、若い頃から薬局に勤めるために薬剤師としての訓練や勉強をこなしていました。

ドイツ各地で修行の後、1771年にクラプロートはベルリンで薬局を開業し、その後も人生のほとんどで薬剤師として薬局に関わり続けました。

そんな中でも彼の優秀さは周囲に知られており、医学校など複数の学校で化学講師を務めていました。1810年にはベルリン大学開設とともにその化学講師に任命され、しばらく教鞭をとっています。

そんなクラプロートの功績として知られているのが鉱石の分析です。彼は隕石や化石、時には古代の貨幣などを分析しながらも、自らもその鉱石分析技術を改良していきました。

彼は「分析の際には装置や試薬から混入する不純物に気をつける」など現代では当たり前となっている事柄を発見し、周囲に啓蒙しました。

マルティン・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth) photo by GettyImages

そして、その技術を用いて1789年にはウラン(U)とジルコニウム(Zr)を、その4年後の1803年にはセリウム(Ce)を発見し、計3つの新たな元素の存在を確認しました。

また、それまでに発見されていたチタン(Ti)とテルル(Te)という2種類の元素を検証、再発見しました。

また、分析化学の分野のみならず、当時支配的であったフロギストン説に反対するラヴォワジェの意見を早くから支持しており、ドイツにおけるその後の新たな燃焼理論普及・発展にも一役買っています。

余談ですが、彼の息子であるユリウス・ハインリヒ・クラプロートはペテルブルク科学アカデミーの助教授として活躍した科学者であったほか、19世紀を代表する東洋学者としても知られており、ロシアに漂流した大黒屋光太夫の一行から日本語を学んで日本語の語彙集を出版したことでも知られています。

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