東京パラリンピックで銀メダルを獲得した車いすバスケットボール。史上初のメダル獲得に大きく貢献した鳥海連志選手(22=パラ神奈川SC、WOWOW)は、国際車いすバスケットボール連盟から「東京パラMVP」に選ばれた。ジャーナリストの島沢優子さんが鳥海選手にインタビューを行った前編「『車いすバスケ界の流川楓』鳥海連志の逆境力を生んだ“逆立ち”」では、幼いころからやりたいことをやらせてくれた両親のもと、兄と逆立ち競争をしながらリオ五輪に出場するアスリートになったこと、そしてリオ五輪ののちに一度車いすバスケットボールから離れることを考えたことをお伝えした。

その後編では、離れることを考えても、車いすバスケットボールをそのまま日本で続け、そしてこうして日本代表としてパラリンピックで大活躍に至った経緯をお伝えする。鳥海選手が一度やめて留学しようと思ったときにかかってきた「一本の電話」とは。

鳥海選手抜きに日本の銀メダルは考えられなかった。しかしもしかしたらこの場所にいなかったかもしれないのだ…Photo by Getty Images
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キャプテンからの電話

続けるべきか、いったん休止すべきか――。人生における重大な決断を迫られていたある日、鳥海の携帯が鳴った。東京パラリンピックでキャプテンを務めた豊島英(あきら=32)からだった。
「連志が思ってることをみんなに相談するとか、伝えていかないと、みんなもわからないよね。みんなが連志がどう思っているっていうことをわかれば、それに対して何か手助けがきっとできるから」

鳥海 「はっきりとはわかりませんが、僕が進路で悩んでいることを多分誰かから聞いて電話をかけてくれたんだと思います。僕がバスケットを辞めるかもと聞いたのかどうかはわかりませんが、とにかく心配してくれていることを知りました。僕が一番頼っていた先輩でしたし、信頼している存在だったので、単純に嬉しかったです」

「おまえにはいろんな道がある。バスケットを一緒にやりたいけど、それを強要することはないから」
携帯から聞こえた豊島の言葉は、鳥海の胸に響いた。10歳も年下の、まだ17歳だった自分を尊重してくれている。そのことが何よりうれしかった。

鳥海 「そういうところも含めて、(バスケットをやめることを)思いとどまるに至ったのかもしれませんね。心配してくれる存在がいる、みたいな。単純にいろんな選択肢の中から自分で考えてっていうことだったんですけど、最後はいろんな人の思いに応えたいというのがありましたね」

東京パラリンピックで入場する背番号1のキャプテン豊島英(あきら)選手と2番の鳥海選手。豊島選手はかつて2番をつけていた Photo by Getty Images