先の東京パラリンピック男子車いすバスケットボールで銀メダルに輝いた日本代表。史上初のメダル獲得に大きく貢献した鳥海連志選手(22=パラ神奈川SC、WOWOW)は、国際車いすバスケットボール連盟から「東京パラMVP」に選ばれた。
優勝した米国選手を差し置いて得た称号だ。持ち点2.5と障害の程度が重いほうに入る「ローポインター」でありながら、東京パラでは攻守の要として多くの試合でチーム最長の出場時間をマーク。1試合平均10.5得点、7.0アシスト、10.75リバウンドの活躍を見せた。

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髪をなびかせ、鋭いドライブを切ってシュートを決める。スピードあふれる華麗なプレーに長い腕、端正な顔立ちが、漫画『スラムダンク』に登場する流川楓に似ていると注目を浴びた。リードを許すなどチームのピンチタイムでは「巻き返そうぜ」とばかりに手を叩き、チームを鼓舞する姿も見せる。その逆境力はどうやって生まれたのか。ジャーナリストの島沢優子さんが行った鳥海選手へのインタビューを前後編にわけてお届けする。

鳥海選手の華麗なプレーは多くの人を魅了した Photo by Getty Images
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親はやりたいことをやらせてくれた

長崎市出身の鳥海選手は、両親と兄妹の4人家族。両親はがバスケットボール経験者で、2歳上の兄は大学まで続けたバスケット一家だ。

鳥海 「パラリンピックが終わって帰省した時に、家族から『ホント凄かったね』と言われました。なんというか初めてちゃんと(家族の)みんなに正式に褒められた気はします(笑)。僕の家ってみんなバスケットをやってたので、普段ってほめられないんです。結構厳しい評価というか。基本的に『ここもっと練習しろ』とか、要求のほうが先に来ましたね」

とはいえ、両親からバスケットをやれと勧められたわけではない。生まれつき両手足に障害があり3歳で両下肢を切断した鳥海選手は中学の部活動は義足をつけてソフトテニスをしていた。

鳥海 「うろ覚えですけど、両親とも別に何かを勧めることはなく、やりたいことをやっていいよって感じでした。僕がやりたいことをやらせてもらえる環境だったし、全面的に子どもの意見を尊重してくれる家庭ではありましたね」

幼少時から運動神経がよく、活発な男の子だった。子ども園の運動会で、障害物競走で置かれていた2メートル以上の跳び箱によじ登って飛び降りたという。手が滑ったりすれば大きなけがを負う可能性もあった。

鳥海 「4歳くらいだったと思います。ただ、不思議とけがが多かった記憶はないし、昔から運動神経がよかったとは言われます。そのころから、逆立ちをして家の階段の上り下りをしていました。兄も運動神経が良くて、逆立ちして競争したりとか、いろいろ遊んだりしてた記憶があります」

保育園の運動会の写真。なにより「楽しそう」だ 写真提供/鳥海連志