お遍路道は、日本社会が抱えている苦悩がわかる“脈どころ”

「宗教の本質」とは? 往復書簡 第四信・A
浄土真宗の僧侶にして宗教学者の釈徹宗氏。批評家・随筆家にしてキリスト者の若松英輔氏。「信仰」に造詣の深い、当代きっての論客二人が、「宗教の本質」について、往復書簡で意見を交わす本連載。今回は、「歩く」をテーマにした、釈氏の書簡を公開する。

第一回はこちら

歩くことと宗教の関係

先日の第三信B、実に読み応えがありました。御礼申し上げます。

さて、第三信でトピックスが「信じる」から「発声する」へと進みました。内面的なテーマから、フィジカルな宗教的営為へと移ったわけですが、もう少しフィジカル案件についてのお話を続けたいと思います。

第四信は、「歩く」ではどうでしょうか。   

あなどれない“歩く”

“歩く”という行為は、なかなかあなどれません。坐禅のプログラムにも「経行(きんひん)」がありますし、ひたすら歩く「回峰行」、不眠不休で念仏しながら行う「常行三昧」、そして「巡礼」「お遍路」など、歩くことと宗教的実践とが直結しています。

四威儀禅というのがあります。行住坐臥の四威儀で実践する禅で、それぞれ行禅・住禅・坐禅・臥禅となります。そのうちの行禅は、まさに歩く禅であり、歩く瞑想です。

呼吸や歩行は、自律神経の働きと密接だそうです。自律神経は、古い脳(様々な動物に共通の脳の部分)である大脳辺縁系と関与しています。生きるために必要な能力と結びついている部分です。

これに対して、大脳辺縁系を覆っている大脳皮質は、複雑な生物である人間として知覚や思考などの高次機能を司っています。大脳皮質の中でも一番新しく形成された部分を大脳新皮質と言います。

古い脳である大脳辺縁系は、食べたい、寝たい、泣きたい、怒りたい、などの指令がでます。でも、それじゃ社会や他者に受け入れてもらえないとか、そんなことしたら結局は損だかとか、自意識やプライドとか、そういう判断や思考を大脳新皮質は行ないます。ということは、そこにはズレがあるということです。そして、この齟齬をうまくバランスとってくれるのが「歩く」ことらしいのです(大島清『脳は「歩いて」鍛えなさい』新講社)。

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やはりあなどれません、“歩く”は。もちろん、脳だけじゃなく、身心全体のバランスにも関わっていることでしょう

そういえば、臨済宗では「牛歩虎視」という表現があるそうです。「虎のような目をして、牛のようにゆったり歩け」ということらしいです。「曹洞の牛歩、臨済の虎歩」と言うそうです。

ついでに言いますと、仏教は「右回り」に歩くんですよ。右繞と言います。ヒンドゥー教も「右回り」。古い仏典である『テーラーガーター』にも、「右回りにまわる」ことが書かれてあります。でもイスラム教がカーバ神殿の周りを回るときは「左回り」です。

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