2021.12.05
# ジェンダー

同性婚したKanさんに「家族ってなんですか?」と聞いたら、意外な答えがかえってきた

橘みつ「Kanさんと再会する」2
橘 みつ プロフィール

「Kanさんにとって、家族ってなんですか? わたしは、血の繋がりよりも、自分の信じた相手であること・共に長く居る努力ができるかということが大切で」

「それには僕も同意です。リナ・サワヤマさんが歌ったりした、”chosen family”という考え方ですよね。姓を同じにしなくても、一緒に住まなくても、本人たちが家族だと思っていれば家族。」

でも、その「家族」と安心して生活していくには、収入だけではなく「社会的(≒制度や周囲の人)にどう扱われるのか」という、信用のようなものも大きく影響する。

会社員・自営業という個人の身分はもちろん、「誰とどんな付き合いをしているか」さえ、判断材料にされてしまう。それってなんだか、小学校のクラス内でやるような立ち回りを、大人になってもまださせられているみたいじゃないか。

わたし自身、生活に困窮していた時期に、自分名義ではない”他人”の家に住んでいたことがある。親にも頼ることが難しかった当時、手を差し伸べてくれたのは血縁でもない”他人”だった。

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おかげで今日まで生き延びられた反面、「公的には”赤の他人”のその人が、もし事故や病気で亡くなったりしたらどうなるのか…」という不安がずっと付いて回ったことも忘れていない。

「他人のセカンドハウス」に居候していたわたしは、社会の中では透明だった。そもそも日本で”家族”と認識してもらえる人の定義はとても狭いし、少なくともその人はどれにも当てはまらなかった。

その人が緊急の際に、連絡が入って駆けつけられるわけでもなければ、訃報さえ知ることができなくて、ある日突然家から退去することになる。それは明日起きるかもしれないし、起きないかもしれないことだ。

こういった、関係性と社会の狭間で生まれる曖昧な不安や不便は、自分の存在さえやがて蝕んでいく。”居ないことにされている”というのは、実生活にもメンタルにも意外と影響が大きい。

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