離婚へのカウントダウンが始まった

池田さんは、妻子が出て行き会えなくなるまで、モラハラやDVを繰り返した。一方で、早く止めなければという自分もいた。悪いことだとはわかっている、もうやっちゃいけない。次第にこれはDVかもしれないなと思うようにはなった。朝起きると「今日1日、機嫌よく過ごせますように……」と祈った。話を続けよう。

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池田さん:ある日、朝ごはんを食べている最中でした。イライラした私がいつものように妻に怒り出しました。そのとき3歳だった長女が妻に「ママがしっかりしないからでしょう」と言いました。妻にとってみれば、理不尽この上なくつらかったと思います。こんなことが繰り返されたら、子どもにとってもよくないと思ったでしょう。

妻が家を出て行く少し前、妻から「些細なことで怒られすぎている。専門家に相談したら、あなたがやっていることはDVだと言われた」と告げられました。そして「DV 加害者プログラムを受けてほしい。今度怒られたら出て行くから」と言われました。

妻はICレコーダーを買っていました。それを見て、私はまたしても怒りがこみ上げ「俺の会話を録音して離婚の証拠にするんだろう」と、ひどいことを言いました。

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妻にしてみれば、苦しくて、これ以上は耐えられないと追い詰められていたのでしょう。でもこの段階まで来ていても、私は妻が出て行くとはまだ思っていませんでした。「そんな簡単に離婚になるはずがない」という思いがありました。

その後も、夜10時ごろに喧嘩をして、妻が実家に行くと言い出し、子どもを自転車に乗せて出て行こうとして、それをなだめて止めたことがありました。全く学習していませんよね。よくよく考えればおかしい話なのですが、DV加害者プログラムなんて受けなくても、自分一人で変われると思っていました。

私が小学生の頃に、遠い親戚のおばさんが再婚しました。その後、母から「再婚した夫と喧嘩をして、夫の手の甲にフォークを突き刺したそうだよ」と聞きました。そんな怖いことがあったのに、そのおばさん夫婦は離婚しませんでした。だから(自分たちも)大丈夫という思い込みがありました。

最後の日は、あっけなくやってきました。休みの日、妻と言い合いになり、またしても私は怒り出してどうにもならなくなって外出したのです。「またやってしまった」。気持ちが落ち着いた後、反省して妻にメールをしました。しかし、返事は「子どもを連れて実家に帰ることにしました」と。それ以来、妻も子どもも、この家に帰ってくることはありませんでした。

いよいよマズイかもしれない……。そう思ったのはこの何週間か後でした。

次回は、なぜあの時、暴力やモラハラをやめられなかったのか。「取り返しがつかないことをしてしまった」と後悔する池田さんが、DVの背景にあった虐待を受けていた子ども時代を振り返りながら、自らの気持ちの変化を語る。池田さんの中にある心の傷とは––––。

次回の記事『包丁を持ち出す母、罵声を浴びせ暴れる父。親のDV見
て育った過去』は、11月24日6時公開予定です