“五郎丸ポーズ”脚光に葛藤も…五郎丸歩が明かす「それでもラグビーを伝えたかった」

五郎丸歩さんインタビュー【後編】
2015年、19年のラグビー・ワールドカップは日本中を熱狂の渦に巻き込み、大きなブームとなった。そしてラグビー競技そのものの認知度は現在大きく向上している。

そして、その中心にいたのが五郎丸歩だ。15年の活躍で脚光を浴び、子どもたちがこぞって「五郎丸ポーズ」の真似をする“時の人”となった。ただし競技やチームでなく個人が脚光を浴びること、そしてときに“色物”として取り扱われることに強い葛藤やストレスもあったという。

彼はそれでも軸をぶらさず競技の本質や魅力を社会に伝え続けた。雌伏、困惑の日々を乗り越えて選手生活をやり切り、今季からプロ化する新生・静岡ブルーレヴズの社員として新しい夢に向かおうとしている。前編中編に続き、インタビュー最終回となる今回は、ラグビー隆盛の歴史とともに歩んできた彼自身の葛藤やラグビーのこれからについて聞いた。

前編:ラグビー界の“レジェンド”五郎丸歩が明かす、引退の「裏側」と運命を変えた2人の存在

中編:「名刺は要らない」“ビジネスマン”五郎丸歩が描く「ラグビー隆盛の未来図」

「ブーム」への期待の一方で…

――五郎丸さんは今まで「プロ」を横から観察する立場でした。

ジュビロ磐田が一番身近にいますね。サッカー王国なので、私が入ったときは「静岡でラグビーやってるの?」みたいな感覚だったんです。ラグビーを取り巻く環境が変わっていくのを肌で感じられて、非常に幸せな13年間だったなと感じつつ、最初は本当に見向きもされなかった。ひどいときは指で数えられるくらいの観客しかいませんでした。(編注:ジュビロ磐田、静岡ブルーレヴズはいずれもヤマハ発動機を母体とするチーム)

現役時代の五郎丸さん/photo by gettyimages
 

――五郎丸さんの入社直後ならばジュビロはJ1で、スター選手もいる人気チームでした。逆に五郎丸さんが「あなた、誰」みたいな立場だったわけですよね。

いやいや、本当にそんなレベルでしたよ。澤登(正朗)さんと名波(浩)さんのフリーキック対決が地元のテレビであって、自分はその壁をしました(笑)。

――五郎丸さんが蹴るのでなく壁ですか?

はい。ラグビー部だったら大丈夫だろうということで、僕らは壁をしたんです。入社1〜2年目ですね。

――大久保グラウンドで収録をするのに、すぐ近くにボールが当たっても大丈夫そうな若者たちがいたってことですね。

そうです。「隣のグラウンドでラグビー部がいるじゃん」みたいな感じで。エキストラとして呼ばれて立っていました。

――五郎丸さんは早稲田大学のときからジャパンで、少なくともラグビー界的には既にスターでしたが……。

でも、そんなレベルで。別に僕らも壁になることに対して腹を立てることはなかったですよ。それに僕はサッカーを元々していた人間だったので、澤登さんと名波さんにフリーキックを当ててもらえるかも……、という感じでした(笑)。

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