2021.11.21
# 学校・教育

いま「道徳の授業」が“面白くなっていた”…!

誤解だらけの道徳の授業観を更新する
飯田 一史 プロフィール

道徳の授業がおもしろくなると子どもたちはどう変わるのか

――やり方次第でおもしろくなりうるのだと。ただ、「道徳をおもしろくする」ことに引っかかりを覚える人もいるのではと思いますが、おもしろくすることによって失われるものはないのでしょうか。

森岡 「おもしろい」にはfunnyとinterestingの2種類があると思っています。自分がめざしているのは後者の「興味深いもの」であって、授業中に爆笑が起きるわけではないですから。それは大丈夫かなと。

 

――おもしろいとどうなる、あるいはおもしろくないと子どもはどう振る舞いますか。

森岡 つまらないと意見の幅が狭くなり、子どもたちが「正解」を「置きに来る」ようになります。また、「どうせお話の世界で誰かがなんかやっただけでしょ」と引いて見たまま、他人事としての上っ面の理解になります。たとえば小学1年生の教科書には「かぼちゃのつる」という話があります。かぼちゃがつるを自分の畑を越えるくらいどんどん伸ばしていくんだけれども、伸ばしすぎてクルマに轢かれて切れてしまう。教師のセッティングがうまくいかないと、かぼちゃに感情移入できずに「つるなんかまた生えてくるやん」という反応になったりする。

そうならないように、たとえば教師がつるの部分を毛糸で表現して轢かれるシーンでハサミでバチッと切るような演出を加えたり、お話に紐付いた自分の経験を話した上で教科書の世界に入っていくといった工夫をすると、子どもたちは「大変だ」「かわいそうだ」とつるに対して自分ごととして捉えて、しっかり考えようという態度になります。

おもしろくなってくると「先生、黒板に書かせてよ」と言って、図やグラフを描きに来たり、たとえ話を入れながら発表したりするようになることもあります。たとえば国際理解に関して、あるスポーツの日本人監督がペルーのチームに行く話があって、日本とペルーで言葉が違うなかお互いどうやって仲良くなればいいのか、という話が教科書に出てきます。

思考がどっぷり浸かってくると「先生、日本を塩とするとペルーは砂糖だと思います。このふたつは混ざると思いますか?」「いや、混ざらないよね」「でも、水があったら溶けて混ざります」「じゃあ、水って何?」「日本とペルーで共通すること。お互いに知っている歌が水となって混ざります」――そしたら別の子が入ってきて「先生、水よりお湯の方が溶けるよ」「なるほど。お湯って何?」「愛情。それがあったらもっと溶ける」……といったかたちでどんどん発展していきます。

道徳は「正解がない」とも「正解がたくさんある」とも言われますが、とにかくひとつではない意見が飛び交うようになります。

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