戦後を代表する詩人・田村隆一が聞いた「時代の悲痛な声」

敗戦が「詩」のこころに与えた影響とは

太平洋戦争の敗戦によって、当時の日本人はさまざまな屈辱的な経験を味わうこととなった。この「もどかしさ」の感覚を、戦後を生きた詩人たちはどのように詩へと昇華させていったのだろうか。現代日本を代表する詩人の1人、吉増剛造氏が60年の詩業の果てに辿り着いた境地を縦横無尽に語り尽くした最新刊『詩とは何か』(講談社現代新書)より、第2章「『戦後詩』という課題」を一部抜粋してお届けする。

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敗戦国という経験から

さて、第1章でもういきなり「詩の本質」と言ってもよいような「深み」にさわるところにまで、少なくともその「とばくち」にまで、来てしまったようですけれども、この第2章では少し趣向を変えまして、このようなテーマでお話しをさせて頂こうと思います。

太平洋戦争の敗戦によって、おそらく当時の日本人は、……その中には幼かったですけれどもわたくしも含まれておりますが、……原爆などのやしがたい「傷」とともに、もうどうしようもない「恥」の感覚を植えつけられてしまいました。

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この敗戦という、実存レヴェルでの屈辱、「恥」の感覚。あるいは「核」という未知の原罪、……。さらには無邪気にそれまで信じていた価値の崩壊、そしてそのようなものを信じていた自分というものに対する根本的な「恥ずかしさ」……そんなさまざまな「恥」の感覚、あるいはなんと言いますか、一種もうどうしようもない「もどかしさ」という感覚が、この時代に生を受け、「戦後」になってあらたに詩の世界に登場した人びとの心の奥底には伏流をしているような気がいたします。

 

時代の持つ「濃度」

これは、戦争が根源的な悪であり、また先の大戦が「侵略戦争」であったとされることとはまったく次元を異にすることです。そのような表面上の善悪、……もちろん、それも大事なことですけれども、……も越えたところで、敗戦国の国民であるということには、 やはりいいようもない「屈辱感」があるのではないでしょうか。そして実存が受けたそのような傷は、決して癒やされることはない。

当然、「作品」にもその「しるし」は刻印されることでしょう。おそらくそれはこれから挙げて参ります、田村隆一たむらりゅういちさんや吉本隆明よしもとたかあきさんや吉岡実よしおかみのるさんといった方々だけではなく、例えば三島由紀夫みしまゆきおのような、政治的立場としてはまったく逆の位置にあった方にも共通して通底する、ある「感度」なのだろうと思います。

三島由紀夫(Photo by gettyimages)

例えば、わたくしの卑近な経験でいいますと、戦後すぐ、わが家でも生活が行き立たなくなって、「オンリーさん」、……米兵の「愛人」をしていらっしゃるかたですね、……に部屋をお貸ししたんですね。そうするともう、真っ昼間っから米兵がその「オンリーさん」をわが家に訪ねてきて、ベッドでたわむれているんです。子供たちには丸見えなんですけどね。

そんな屈辱的な経験を、敗戦国の国民というのはしなきゃならないわけです。これからご紹介をいたしますいくつかの詩篇の背景に、そういった卑近な、しかしリアルな細々こまごまとした実経験があったことをご想像していただきますと、時代の持ちます「濃度」といいますか、そのようなものが「詩」のこころに与えた影響が、ご理解頂けるのではないかと思います。

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