【早すぎた予言者 南部陽一郎】「魔法使い」はノーベル賞を半世紀も待たされた

正しくても認められなかった独創性
大栗 博司 プロフィール

弦理論の提案

この連載の最初に書きましたように量子論と一般相対論の統一は達成されていませんが(〈【早すぎた予言者 南部陽一郎】「福井の神童」が素粒子物理学の世界で挫折を味わった頃〉https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89252 を参照〉、その最も有力な候補が超弦理論です。これは自然界を構成する基本単位が点のような粒子ではなく、1次元に「ひも」のように広がったものであるというアイデアに基づく理論です。このアイデアを提案されたのも南部先生でした。

【写真】アインシュタインの追っかけ?相対性理論を生んだアインシュタインは、南部氏にとっても憧れの的だった。プリンストン高等研究所にいた頃は、同研究所に招聘されていたアインシュタインの自宅前で記念写真を撮り(左)、彼の姿を“盗撮”もしていた(右) 『早すぎた男 南部陽一郎物語』より

南部先生が弦理論を提案された論文 "Duality and Hadrodynamics.Y. Nambu、note prepared for Copenhagen High Energy Symposium、 August 1970 (unpublished)." については、ちょっとしたエピソードがあります。

先生は弦理論のアイデアを1970年の夏にデンマークのコペンハーゲンで開かれる国際会議で発表するつもりで、講演の原稿も用意していらっしゃいました。そして夏休みを利用して家族とともにアメリカ西部を車で横断して、カリフォルニア州のサンフランシスコまで行き、そこから飛行機でコペンハーゲンに向かおうという計画をされました。

ところがユタ州のグレート・ソルト湖をこえたところで車が故障してしまいます。グレート・ソルト湖は西半球最大の塩水湖です。私も何度も車で通ったことがありますが、ソルトレークシティから西に向かうと、水が蒸発した湖は一面の塩に覆われています。見渡す限り真っ白な世界の中を一本の道がのびていて、そこを何時間も走ることになります。

夏には40℃を超える灼熱なので、南部先生の車はオーバーヒートを起こしてしまったそうです。湖の端までたどり着かれた先生は車の修理ができるまで数日間、ユタ州とネバダ州の州境にある宿場町ウェンドーバーに足止めされてしまいました。

そして、やっとの思いでサンフランシスコに着いたときには、コペンハーゲンの会議には間に合いませんでした。南部先生は出席される代わりに、あらかじめ用意しておいた講演の原稿をお送りになりました。そのうち会議録に掲載されることになるだろうと思っていらしたそうですが、主催者の手違いのためか、会議録は出版されずじまいになってしまいました。

【写真】南部博士と自動車プリンストン研究所時代に、購入したばかりの自動車と。南部氏は、腕前はともかく、運転好きだった 『早すぎた男 南部陽一郎物語』より

このような事情によって、南部先生の原稿を見た人は限られていました。しかし、先生の独創的なアイデアは素粒子論の研究者の間でよく知られていたので、先生が弦理論の創設者の一人であるということも広く認められているのです。

幸いにして、この原稿は残っていました。そして1995年に南部先生の論文選集 "Broken Symmetry: Selected Papers of Y. Nambu. eds. T. Eguchi、 K. Nishijima、 World Scientific 1995." が出版されたときに、この原稿が再録され誰でも読むことができるようになりました。私はこれを読んで先生の先見性に改めて感銘を受けました。

生涯、現役であり続けた研究者

1991年にシカゴ大学を退職された後にも精力的に研究を続けられ、特別栄誉教授として大阪大学に研究室を持っておられました。

2年前の2013年7月16日に、南部先生が大阪大学で講演をされた際のビデオをYouTubeで見ることができます(〈大阪大学未来トーク 04 「物理学の周辺」南部陽一郎(2013.7.16)〉 https://www.youtube.com/watch?v=SuGGDdgIucw)。

【写真】阪大での講演会記念写真ノーベル賞受賞直後の2009年に、大阪大学が主催した講演会で。前列右から3人目が南部氏、その右隣が門下生だった細谷裕 大阪大学名誉教授

最後にお会いしたのは、2015年の6月でした。私の所属するカリフォルニア工科大学(カルテク)の学生がいたずらで作ったTシャツやマグカップ[(私のブログで「ホットな工科大学」としてご紹介したことがあります)をおみやげにお持ちしたところ喜ばれて、カルテクを訪問されたときの話や、カルテク教授のマレー・ゲルマン氏の逸話などを楽しそうにお話くださいました。

それからほんの1カ月後に悲しい知らせをお聞きし、大変驚いたことを覚えています

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