【早すぎた予言者 南部陽一郎】「対称性の自発的破れ」が生まれた充実のシカゴ時代

物理にとって真空は必要不可欠となった

「自発的対称性の破れ」をはじめとする数々の新理論を発見し、"質量"と"力"の起源に迫った南部陽一郎。その後のヒッグス粒子の発見や電弱統一理論の確立にも絶大な貢献をした彼は、20世紀最高の物理学者の1人と称されたにもかかわらず、ノーベル賞受賞は理論発表から半世紀近くも待たねばならなかった。

あまりにも時代を先取りしていたことから「予言者」「魔法使い」とも呼ばれた天才は、どのような人間だったのか? 初の本格的評伝『早すぎた男 南部陽一郎物語』の刊行を記念して、かつて南部研究室で「門下生」として身近に接した経験をもつ大栗博司氏(東京大学カブリIPMU機構長)が、師の逝去に際して寄せた追悼文を全3回にわたってご覧いただく。

本記事は、「日経サイエンス」2015年10月号に掲載された『追悼 南部陽一郎博士・南部先生が成し遂げたこと』を一部改変の上、再録したものです。

充実のシカゴ時代

前回の記事(〈「福井の神童」が素粒子物理学の世界で挫折を味わった頃〉https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89252)でご紹介したムカージー氏への手紙にもありましたように、南部先生はマービン・ゴールドバーガー氏の誘いで1954年にシカゴ大学の助手に、1958年には同大学の教授に昇進されます。そして1970 年には米国市民権を取得されています。南部先生の最も偉大な業績とされる (1)対称性の自発的破れの理論、(2)強い力のカラー自由度とゲージ理論による記述の提案、(3)弦理論の提唱は、どれもシカゴ大学でなさったお仕事です。

ここでシカゴの町とシカゴ大学について少し書いておきましょう。私はプリンストンの高等研究所に滞在していた年の冬に、南部先生からお電話をいただき、シカゴ大学の助教授にしていただきました。シカゴ市は米国中西部の経済や文化の中心地で、交響楽団や美術館は世界的に有名です。

日本にたとえるとニューヨークが東京、ロサンゼルスが大阪だとすると、シカゴは名古屋でしょうか。北欧系の移民が多く、質実剛健な土地柄でも知られています。先生はシカゴでの生活を楽しまれていたようで、車でいろいろなところにご案内いただいたことを憶えています。

シカゴ大学は市の中心からミシガン湖に沿って車で15分ぐらい南に下ったところにあります。世界最大の製油会社を立ち上げて財を成したジョン・D・ロックフェラー氏が、シカゴにも東海岸のアイビーリーグに匹敵する大学が必要だとして提供した資金を元に1890年に設立されました。

英国のオックスフォード大学に倣ったゴシック様式の建物が並ぶキャンパスは美しく、「知識を創出し人類の生活を豊かに」をモットーとする研究に重点をおいた大学です。私が着任した頃にはシカゴの北の住宅地から通勤してくる教授たちもいましたが、以前はほとんどの人が大学から歩いて通える距離に住んでいたそうです。南部先生は同僚とは公私にわたって家族のような付き合いだったとおっしゃっていました。

南部先生の所属された原子核研究所は、素粒子物理学の理論と実験の両方で大きな業績を上げることができた最後の物理学者といわれるエンリコ・フェルミ氏が主宰していました。毎週開かれていた研究所全体のミーティングについて

「プログラムを決めず、誰でも思いつくままに立ち上がって、自分が考えてまだ完成していないことでも自由に発表したり議論したりすることを奨励されていた。原子核、素粒子、宇宙線、太陽系物理、天体物理、宇宙 化学など研究所のすべての分野がトピックスとなった。これは私にはたいへんな刺激であった」

と回想されています。

【写真】シカゴ時代の日本人の集まりシカゴ大学に集まった日本人研究者の仲間たち。左列の奥から2人目が南部博士、その正面が知恵子夫人。左列の奥から5人目は、小柴昌俊博士

南部先生の研究は、このように分野間の風通しのよいシカゴ大学の環境で開花しました。

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