【早すぎた予言者 南部陽一郎】「福井の神童」が素粒子物理学の世界で挫折を味わった頃

「最高峰」プリンストンで神経衰弱に

「自発的対称性の破れ」をはじめとする数々の新理論を発見し、"質量"と"力"の起源に迫った南部陽一郎。その後のヒッグス粒子の発見や電弱統一理論の確立にも絶大な貢献をした彼は、20世紀最高の物理学者の1人と称されたにもかかわらず、ノーベル賞受賞は理論発表から半世紀近くも待たねばならなかった。

あまりにも時代を先取りしていたことから「予言者」「魔法使い」とも呼ばれた天才は、どのような人間だったのか? 初の本格的評伝『早すぎた男 南部陽一郎物語』の刊行を記念して、かつて南部研究室で「門下生」として身近に接した経験をもつ大栗博司氏(東京大学カブリIPMU機構長)が、師の逝去に際して寄せた追悼文を全3回にわたってご覧いただく。

本記事は、「日経サイエンス」2015年10月号に掲載された『追悼 南部陽一郎博士・南部先生が成し遂げたこと』を一部改変の上、再録したものです。

南部陽一郎と素粒子物理学

南部陽一郎先生は現代の理論物理学の基礎となる数々の業績を上げられました。南部先生の偉大な足跡を辿りながら、ご研究の意義を解説し、先生を偲びたいと思います。

南部先生の研究を解説する前に、ご専門であった素粒子物理学の考え方について簡単にまとめておきましょう。

20世紀の物理学の基礎は「相対論」と「量子論」だと言われます。この相対論には、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学を統合した「特殊相対論」と、さらに重力も含めた「一般相対論」の2種類があります。特殊相対論は1905年に、一般相対論はその10年後の1915年に、どちらもアインシュタインによって完成されました。

特殊相対論と量子論を統合した理論は「場の量子論」と呼ばれており、さらに一般相対論まで統合できれば、物理学の基礎がひとつの理論にまとまると期待されています。超弦理論はその最も有望な候補として提案されていますが、まだ検証されていないので、一般相対論と量子論の統合は達成されていません。これを図にまとめると、次のようになります。

【写真】理論の統合

南部先生は場の量子論の性質の研究と、その素粒子論への応用において数多くの偉業を成し遂げられました。また量子力学と一般相対論を含む究極の統一理論の候補である超弦理論の基礎となる考え方を提案されたのも南部先生でした。

量子論と特殊相対論を統合する場の量子論の重要な予言として「反粒子」の存在があります。

電荷を持つ粒子があると、質量などはすべて同じなのに電荷のプラス・マイナスだけが逆転した反粒子があるというのです。ただし光子(光の最小単位の粒子)のように電荷を持たない粒子は自分自身が反粒子だと考えます。粒子と反粒子が出合うと消滅してしまい、そのエネルギーは光子などになって飛び去っていきます。逆に空間のある点にエネルギーが集中すると、粒子と反粒子の対が生成されます。

このように場の量子論では粒子や反粒子が対生成・対消滅を起こすので粒子の数が変化します。

そのため、許される状態の可能性が飛躍的に多くなって、計算をするとしばしば無限大という意味のない答えになってしまいます。この問題を解決したのが日本の朝永振一郎氏と米国のリチャード・ファインマン氏とジュリアン・シュウィンガー氏が開発した「くりこみ理論」でした。3氏はこの業績に対し、1965年にノーベル物理学賞を受賞しています。

実験用の大部屋は理想の住まい?

南部先生は1940年に東京帝国大学科に入学されますが、2年生の時に戦争が始まります。2年半で卒業して陸軍に召集され大阪の技術研究所に配属されました。戦後は東京大学の嘱託となられます。大阪でご結婚された先生は東京に単身赴任されましたが、戦争直後で住宅事情も悪く、東京大学理学部1号館にある実験室用の大部屋に寝泊りをされていたそうです。

【写真】南部博士幼少期、青年期1921年に東京で生まれ、父の実家のある福井で育った少年は「神童」と呼ばれ、5年制だった旧制中学を4年で修了すると、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学に進んだ。写真左は5歳の頃、右は深夜に蝋燭の灯で勉強に励む一高寮での様子

当時の様子について「夜でも隣部屋の住人を訪ねて議論することができた」ので、「自分のペースで自分の考えを発展」させるのには「理想的であった」と回想されています。

このときに研究室で机を向かい合わせにしていたのが朝永氏の共同研究者であった木庭二郎氏でした。木庭氏は毎朝誰よりも早く出勤してきたので、机をベッド代わりに寝ていた南部先生を起こしてしまうこともあったようです。

当時、東京における素粒子論研究の中心は東京文理科大学(筑波大学の前身)の朝永グループで、朝永氏が戦時中に研究していたくりこみ理論の考え方を発展させ、米国のファインマン氏やシュウィンガー氏と競っていました。南部先生は木庭氏を通じて場の量子論を学び、朝永グループのセミナーにも参加されるようになります。

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