2021.11.13
# 地震

11月13日 東大地震研究所が設立される(1925年)

サイエンス365days

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1925年の今日(11月13日)、東京帝国大学の附属施設として、官制地震研究所が設立されました。

この地震研究所の設立は、その2年前に起こった関東大震災がきっかけとなっています。この未曾有の大災害に衝撃を受けた日本の科学者たちが、新しい地震研究のあり方を模索しました。

関東大震災では東京の建物が大量に倒壊した Photo by Getty Images

その方法をめぐっては、2つの考え方がありました。1つは、それ以前まであった「震災予防調査会」を、研究内容はそのままに規模を大きくするものです。震災予防調査会は当時、地震の予知や被害軽減に注力していた機関です。

この考えは、同会の幹事だった今村明恒(1870-1948)が提唱しました。ちなみにこれは、彼の前に幹事であった大森房吉(1868-1923)の考えを継いだものになります。大森は独自の震度計や、縦揺れの時間と震源からの距離についての公式などを発明した業績があり、日本の地震学の祖ともされる存在です。

大森房吉 Photo by Public Commons

一方で、大森や震災予防調査会の研究に不満を抱くグループもありました。その多くは理論物理学者です。その中には、寺田寅彦(1878-1935)や長岡半太郎(1865-1950)といった大物もいたのです。

彼らは、大森たちの研究が経験の積み重ねに過ぎず、科学的な根拠に乏しいことを主張します。実際、大森の発表する論文の中には、地震の初期微動(P波)と主要動(S波)の物理的な違いについて理解が不足しているものなどがあったようです。

そして、当時の東京帝大は長岡らの主張を受け容れ、地震にとどまらず火山噴火などの地殻変動全体を科学的に解明する研究所を設立しました。なお、今村の構想も、防災の啓蒙を主とする震災予防評議会の結成という形で一定の結実を見ます。

ここまでの経緯を見ると、大森や今村は非科学的で、前時代的だったという印象を与えてしまうかもしれません。しかし大森の地震研究は、当時の世界最先端のものでした。地震大国といわれる日本だからこそ、独自の学問が発達したのでしょう。