「教育格差」について知らなくても“学校の先生になれる”…日本の教職課程における「大問題」

教育格差が取り沙汰されるようになって久しい。非行、進路、性別、移民、部活動、不登校・いじめ……学校に関わる多くのことは格差と無縁ではない。

しかし、現行の教職課程においては格差について「必修」になっておらず、実態や理論的な枠組みを知らずに教師になっていく人が少なくない。松岡亮二氏による全国大学を対象とした2017年度の教職課程のシラバス研究では「格差」が出てくるのは3割、「階層」でも4割、子どもの貧困に言及している科目数は全体の2割に留まっているという。

この現状に警鐘を鳴らすべく教職課程学生や現場教員向けに作られたのが中村高康/松岡亮二編著『現場で使える教育社会学 教職のための〈格差〉入門』(ミネルヴァ書房)だ。中村高康・東京大学大学院教育学研究科教授に、教育現場や家庭が知るべき教育格差とそれへの対応について訊いた。

[PHOTO]iStock
 

階層や格差を扱う教育社会学の講座が減ってきている

――アメリカなどとは異なり、日本では教職課程で教育格差についてあまり扱われていないのはなぜでしょうか。

中村 教育格差そのものは日本でも昔から存在していましたが、長いあいだ「日本の教育は平等だ」と言われてきたこともあってか、2000年代以降に認知が進む以前には階層や格差の問題は後景に退いており、教育界はほかのトピックにエネルギーを注いできました。受験競争の疲弊からくる詰め込み教育批判、校内暴力、いじめ……等々。今も格差が問題になっていなかった時代の思考を引きずっており、だから教職課程においても欠けているのだと思います。

実は2017年に政府の検討委員会から出された教職課程コアカリキュラム(教職課程の履修内容を詳細に規定したもの)においても、階層や格差をはじめとする教育社会学の主要な内容が入る余地は以前にも増して小さくなっています。

――世の中では格差が騒がれるようになっているのに、逆行しているように感じますが……?

中村 教育社会学者はメディアに出て発信している先生も多く、社会の中でのプレゼンスは比較的高いと思っています。しかし、そもそも教育学部の中ではそれよりも具体的な授業実践の方法論や子どもの心のケアをいかにすべきかといった議論が好まれ、求められています。

たとえば「総合的な学習の時間」が導入されたときに教育社会学者の苅谷剛彦さんが「格差が広がるのではないか」と警鐘を鳴らしたことがありましたが、これは人生をかけて総合学習を開発・導入しようとしてきた教育学者からすると余計な横槍に感じられたかもしれません。「がんばればみんなできる」を理念とする方が教育学者、教育関係者には多いんですね。これは悪いことではありません。そうした理念こそ教育を改善する原動力になりうるからです。

しかし一方で現実には厳しい壁が立ちはだかっているのも事実です。教育社会学者はこうした壁の代表的なものとして「生まれ」、つまり親の社会経済的地位(SES)の違いなどによって子どもの学力や教育機会には埋めがたい差が生じるという教育格差の問題を警告してきました。言ってみれば、リアルな現実を見ようとするあまり夢を語れない――それが引いては教職課程での扱いが軽くされる遠因になってきた面も、もしかしたらあるのかもしれません。

関連記事