第一次上海事変 川島芳子を使った関東軍の謀略

関口宏、保阪正康のもう一度! 近現代史(3)
BSーTBSの人気番組の書籍化第二弾! 新興国・日本が経済力と軍事力に自信を深め、欧米列強に伍する新たな一等国として成り上がろうとした、野望の時代、大正~昭和11年初頭までを描く書籍、『関口宏・保阪正康のもう一度! 近現代史 戦争の時代へ』から注目の章をピックアップしてお届けします。

第一次上海事変 川島芳子を使った関東軍の謀略

昭和7(1932)年1月28日
上海で起こった抗日運動をきっかけに、日本軍が出兵し中国軍と激突する。しかしこの事件の背景には、「東洋のマタハリ」と言われた川島芳子が暗躍する謀略があった。

関口 満州で関東軍が戦線を拡大している最中の昭和7年1月18日、抗日運動の拠点のひとつである三友実業社の前で、日本人僧侶5人が数十人の中国人集団に襲われて1人が死亡、4人が重軽傷を負います。

「男装の麗人」と言われた川島芳子(写真提供:松本市歴史の里)

2日後、日本人居留民30人が武装してこの三友実業社を襲撃、このときは日中双方に死者が出ました。これを受けて日本政府は加害者の処罰や慰謝料、謝罪などを中国側に要求し、さらに兵士と軍艦を派遣します。このときは陸軍ではなく、海軍の陸戦隊が出動しました。

 

保阪 海軍としても中国戦線、満州でなんらかの働きをしたいという考えがあったのではないでしょうか。

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