「子ども」相手に相撲をとっていた私

駄々っ子のように泣きわめく義母を見ていて、ストンと胸に落ちたことがあった。トミ子の精神は子どもなのだ。認知症になったからではなく、もともとそうだったのだろう。彼女に悪意がないことはわかっていた。しかし同時に、他人の状況や心を配慮する能力も欠落していた。自分の欲求が全てに優先していた。やりたいこと、欲しい物、言いたいことを我慢することができなかった。

現代だったら「発達障害」と診断されたかもしれない。支援学級で仕事をした経験のあるケアマネジャーにトミ子の性質について相談したとき、発達障害的な特徴がありますね、と指摘されたことがある。しかし、医師からアルツハイマーと診断された上に発達障害の診断は不要と言われ、敢えて調べることはしなかった。

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子どものころからそんな態度をとっていたので、友だちや大人から疎まれることもあっただろう。彼女の言葉や態度に腹を立てると、自分には悪意がないものだから、一方的に攻撃されたと思い込んだ。自分以外の人間にはそれぞれ違う心があって、感情があって、自分の言動によって傷ついたりする可能性があるとは理解できなかった。だから誰かが怒ると「みんなで私をいじめぬいて」と被害者意識に凝り固まった態度をとるようになったのだ。

義母は、人の気持ちを推察して、その場その場で適切な態度や言葉を選ぶことができない。この性質に気づいても、気づくだけでは、家族や周辺の人間関係を円滑にすることはできなかった。私が大人になって鷹揚にかまえ、すべてを呑み込んであげればよかったのかもしれないが、凡人の悲しさで我慢しきれないことのほうが多かった。相手は何もわからない「大きな子ども」だというのに。

そして一番の問題は、家族が義母を敬遠し、連携プレーができないことだった。私自身の母と伯母の介護については、身内が支え合い、自分にできることを率先してやったので、なんとかクリアできたが、義母に関してはそれができなかった。義母のような性質をもった人と暮らすのであれば、愚痴を言ったり、騒動が起きたとき相談できる第三者がいてくれると助かる。一人で背負い込むには荷が重い。