馬淵優佳さんがアスリートに話を聞いて執筆していく連載「スポーツが教えてくれたこと」、1984年ロス五輪のマラソン日本代表で、現在は陸上の名解説でおなじみの増田明美さんにご登場いただく。

前編では、中学2年生のときに陸上を始めるやいなや頭角を現し、瞬く間に全国レベルの選手になった増田さんが、高校3年生のときは7種目で日本記録を樹立した頃の話ををお伝えした。増田さんは1984年のロサンゼルスオリンピックの代表になったが、「走るならメダルを取らなければ意味がない」と思い込んでおり、出だしの失敗から、棄権を決断してしまう。「生理が止まらないくらいでは練習量が足りない」と言われるような時代、栄養失調で倒れるほどの貧血にも悩まされており、心も体もボロボロで一度は引退を決意したのだった。

後編では、一度は引退を決意した増田さんが、「やはり走ることが好きだ」と気づき、オレゴン大学に陸上留学をして陸上競技を再開したときからのエピソードをお届けする。マラソン解説ではランナーたちの好きなものやエピソードなど「どこでその情報を入手したのか?」と聞きたくなるような選手の情報が解説に盛り込まれている。その背景は、自身の選手体験にあった――。

撮影/杉山和行
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指導者と選手は友達でもある

栄光と挫折を味わい、一度は競技を引退した増田さん。その後、改めて走ることを愛する自分の心に気づき、第2の競技人生が幕をあける。その舞台はアメリカオレゴン大学。日本とは全く異なる環境で0からスタートさせた増田さんは、スポーツに対する考え方の違いにカルチャーショックを受けたそうだ。

「ブラジルのルイーズ・オリベイラさんに指導を受けたのですが、日本にいる時の癖で最初に『オリベイラ先生』って呼んだの。そしたら『アケミ、ボクはあなたのコーチであり、友達なんだからルイーズでいいよ』って。日本での師弟関係とは違っていましたね。でもお陰で、何でも自分でする力が身についたと思います。日本にいる時は先生に依存しちゃって自主性が育たなかったから」

オレゴン州の緑豊かな自然の中で、世界中から多くのランナーが集う環境も、増田さんが元気を取り戻す一因となった。

「ランニングシティと言われていて世界中の選手がトレーニング拠点としていました。街の中やバイクパスと呼ばれる川沿いの遊歩道、ウッドチップが敷かれたアマゾンパークなど、そこかしこにランナーがいて、健やか爽やかな環境でしたね。チームメイトのブラジルの選手はほんと朗らかで、体をくの字にして笑うって言葉を体現していました。お陰でわたし、すっごく元気になっちゃった」