世論は一変。「当事者がいない」と言えなくなった

選択的夫婦別姓の議論が始まってすでに40年。最近の意識調査では「賛成」が7割を超えるケースが多く、政府のパブリックコメントにも大量の法改正要望が寄せられました。「夫婦同姓の苦しみ」をはじめとする当事者取材も増え、6月の最高裁決定から衆院選に向けて、世論は盛り上がりを見せています。

ほんの3年ほど前は「当事者はどこにいるんだ」と言われたものですが、反対派議員ですら「旧姓の通称使用拡大を推進する」と方針を変えてきました。世論に押され、もはや反対とは言えなくなったのは前進です。

では本当に旧姓の通称使用拡大で選択的夫婦別姓はいらなくなるか。具体的な事例で見ていきましょう。

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20年以上実績のある業務上氏名で契約できない

私はもう20年以上、「井田」という名前で働いています。再婚で望まない改姓をした後も、仕事では旧姓を使っています。政府が規制改革の一環で進める「脱ハンコ」により、ようやく勤務先でも2020年末、電子署名システムが導入されました。外注先との契約では、これまで押印のために対面したり、郵送で数日を要したりしていたので、「これで業務が効率化される」と喜んだものです。

しかし実際の契約時、画面上に「井田」の名前が出てきません。戸籍姓しか選択できないのです。人事に聞くと「年末調整や社会保険とも連動しているシステムなので1種類しか氏名を登録できない。法的な契約は今後、戸籍姓だけに限定させてほしい」とのこと。青天の霹靂でした。

脱ハンコでかえって厳格に1つの氏名に統一せざるを得ないケースも発生する illustration/iStock

契約の相手方にとって、知らない名前が契約書に突然登場することになります。私は「実は再婚して名字が変わって…」と説明しなければならなくなりました。これは苦痛です。結婚で改姓しなかった夫側には、業務上でこのように婚姻歴や配偶者姓を漏洩せざるを得ない場面は発生しません。

自分の氏名を使ったら患者から「ニセ医者!」と

ほかにもこんな体験談を寄せてくれた女性たちがいました。

・金融機関の取締役:持株会の理事に選出された。理事名簿には証券会社に登録している戸籍姓で表示される。結婚前から働く職場では一貫して旧姓使用をしてきたが、「これは誰?」と説明を求められる。プライバシー漏洩に耐えられず、理事就任を辞退した。

・投資会社勤務:プライベートエクイティ(未上場株への投資)は戸籍氏名でしか担当できない。 投資先の取締役への就任も旧姓は不可。そのため戸籍名でしか就職もできない。卒業証書、前職からのキャリアの分断が起き、自分の積み上げてきた履歴、職歴を否定されるのは耐え難い。

また、多くの医療免許取得者は、結婚改姓すると30日以内に保健所に申請し、有料で免許を更新しなければなりません。そのために有給休暇を取る人も少なくなく、もし提出期限を過ぎてしまえば、「お詫び」の内容を含む「遅延理由書」の提出が必要になります。

千葉の病院に勤務するある女性の医師は私に、担当していたガン患者から「ニセ医者だ」と責められたつらい経験を語ってくれました。厚生労働省の「医師等資格確認検索」で確認したところ、旧姓で働く彼女の名前が見つからなかったとのこと。「最近結婚をして登録名が変わった」と旧姓使用を説明しても、患者は不信感から来院しなくなってしまったそうです。

「2019年1月から免許証書換え交付申請を行えば、医師免許証に新姓と旧姓を併記することが可能になりました。しかし、もともと医師免許証は医籍名が変わっても書き替える義務はありません。ただでさえ多忙な中、保健所に出向いて有料の手続きをしてまで戸籍姓に変えて新姓を併記するメリットはなく、現実に即していない」と彼女は語ります。
また「医師として働くのに必要な『保険医登録証』『臨床研修修了証』は旧姓併記すら認められていません。業務上氏名の不一致が発生するので、病院によっては旧姓で働くことに難色を示す病院もある」とも明かしてくれました。

ただ自分の氏名を名乗るために、費用を負担し、頼み込み、説明し、時には謝罪しなければならない。実績を積んだ名前を変えたくなかった人たちにとって、こんなに尊厳を傷つけられることはあるでしょうか。

姓を変更したことで、費用や時間を捻出しなければ「旧姓の身分証明」がなされなくなってしまった Photo by iStock