決勝戦で「ゾーン」に入った伊藤選手

ポイントを次々と奪い、私たちは金メダルに王手をかけていた。中国チームの許キン選手はボーっと遠くを見ているし、劉詩雯選手はずっと苦笑いしながら私の目を見ている。今まで試合をしてきて、こんなに動揺した中国人選手は一度も見たことがない。
「はじめに」で記したとおり、中国チームの2人とは対照的に、私の足はガクガク震えていた。あまりのプレッシャーに武者震いが止まらなくなってしまったのだ。ところが隣をチラッと見ると、伊藤選手は気持ちよさそうに笑っている。普通の卓球選手は、試合が終わる瞬間までバチバチの緊張が解けない。いわゆる「ゾーン」に入った彼女は、やることなすこと自分が思うとおりのボール運びを見せた。ただでさえ強いサイヤ人が超(スーパー)サイヤ人に化けたかのようだった。

準々決勝で見せたような不安やあきらめの表情は一切なかった Photo by Getty Images
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卓球選手の男女の実力差は、皆さんがイメージしているよりずっと大きい。混合ダブルスだと「男:女=8:2」が一般的だ。男子選手と女子選手がもしシングルスで対戦したら、男子選手のほうが圧倒的に強い。混合ダブルスで女子選手から打ち返されたボールは、男子選手にとって全部チャンスボールのようなものだ。試合では男子選手がひたすら攻め、女子選手はミスせず返球する。これが通常の混合ダブルスだとイメージしてほしい。

伊藤選手のスタイルは、ほかの女子選手とは明らかに異質だ。彼女の戦型はリスクを背負って攻める攻撃型であり、返球は全部攻撃的に打ち返していく。ほかの混合ダブルスペアの実力差が「男:女=8:2」だとすると、私はいつも「6:6」「7:7」、ときには「8:8」というイメージでプレーしていた。彼女の戦型は、女子選手の中ではそれくらい突出して攻撃的なのだ。

混合ダブルスをやるとき、普通の女子選手は「男子選手の足を引っ張らないようにしなきゃ」から始まる。おそらく伊藤選手は、いつも「ジュンに任せていられない。私がなんとかしなきゃ」と思っているはずだ。

そんな彼女が攻撃せずに守りに入った瞬間、私たちのペアは一気に弱くなる。彼女が攻めることが、私たちのダブルスの強みだ。だから攻める姿勢を失ってしまうネガティブな言動は絶対にしないように心がけ、「ミマには自分の好きなように卓球をやってほしい」という姿勢で伊藤選手に接してきた。そのやり方がうまくいき、私たちは日本卓球史上初のオリンピック金メダルを取れた。

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伊藤選手のポテンシャルは、ズバ抜けて高い。鋼のメンタルを持つ彼女は、競った時に何を考えているか相手に読ませない。セオリーを無視し、いきなりわけのわからないことをやってくる彼女のような選手に、対戦相手は恐怖心を抱く。競った時に思い切ったことをやれるということは、並外れた勇気の持ち主なのだろう。

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