2021年7月21日から始まり、23日に開会式を迎えた東京五輪。開始早々、史上初の金メダルを日本にもたらしたのが、混合ダブルスの水谷隼&伊藤美誠ペアによる混合ダブルスだった。

この東京五輪で現役を引退した水谷隼さんが執筆した書籍が『打ち返す力 最強のメンタルを手に入れろ』だ。卓球経験者である両親のもとにうまれた水谷さんが、5歳から卓球をはじめ、全日本選手権の小学生の部で優勝を重ね、14歳という若さで海外留学をしたこと、日本代表や日本のチームのこと、自身の病気のこと、五輪のことやビジネスのこと……卓球という競技を超え、大きな学びのある一冊となっている。発売を記念して本書から、伊藤美誠選手とペアを組み、日本卓球界史上初の金メダルを獲得した混合ダブルスのときの様子を抜粋の上紹介する。

前編「伊藤美誠もあきらめ顔…東京五輪卓球混合W準決勝大逆転を支えた「スラムダンク」の言葉」ではその準々決勝のドイツ戦についてお伝えした。後編では伊藤選手という人がどんな選手なのかがよくわかる東京五輪混合ダブルス決勝戦のことをお届けする。

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初めて会ったのは伊藤選手が5~6歳の頃

伊藤美誠選手が初めて我が家にやってきたのは、彼女が5歳か6歳の頃だったと思う。高校生だった私は、青森山田学園に所属しつつドイツへ卓球留学していた。静岡に帰省するのは、唯一年末年始だけだった。強い卓球選手がいると聞いて、幼い彼女はお母さんと一緒に私に会いに来たのだ。

彼女は私の父が開設した「豊田町卓球スポーツ少年団」で卓球をやっていた。水谷家と伊藤家は車で5分くらいの場所にあり、街中でバッタリ会うこともよくあった。お兄ちゃんと妹みたいな感じで自然と親しくなり、お互いの家を行き来し合う家族ぐるみのつきあいになった。「ジュン」「ミマ」とファーストネームで呼び合い、彼女は年上の私に対して今も普通にタメ口を利く。

7歳か8歳になると、彼女は小学校の大会で優勝するようになった。取材に来ていたテレビ局のスタッフに「この子は将来全日本選手権で優勝するので、今のうちに映像を残しておいた方がいいですよ」と声をかけたことがある。予想どおり、彼女はたちまち女子卓球のトップ選手へと成長した(よもやオリンピックの混合ダブルスでペアを組むようになるとは、思いもしなかったが)。

最年少優勝記録を塗り替えてきた伊藤選手。2014年には平野美宇選手とのダブルスでワールドツアー初優勝も果たした Photo by Getty Images

彼女に限らず、女子選手と接するときは神経を使う。男女は価値観がまったく異なるし、男と女はお互い想定していないことを考えているものだ。良かれと思って発した言葉によって、女性が傷つくこともある。「この人はどこまで踏み込んだ言い方をしてもOKなのか」と反応を注意深く見ながら、丁寧にコミュニケーションを取る。