介護は様々な自治体のサービスがある。しかしそのサービスを受けるには要介護認定が必要だ。要介護認定を受けるためには病院の診察が必要で、そのあとに認定審査もある。そういう認定を受ける前や、認定も軽度の場合は、自宅介護を余儀なくされることとなる。実の親であれ、介護とは簡単なことではない。それが、もともと謎行動に悩まされていた義理の親が認知症になり、同居して介護することになったらどうしたらいいのだろう。

上松容子さんは、実母が認知症となった中、頑固で自分の法則を譲らない義母との同居を優先せざるを得ず、その言動に振り回されていた。お昼を頼んでも食べずに放置したり、医者や看護師のことも「嘘つき」と言ってみてもらおうとしなかったり……。そしてその原因をたどっていくと、幼少期から夫の運動会は来られても一度も見に来ないし、義母のきょうだいの中でも問題があったりと、様々な要因が絡んでいることがわかってくるのだった。
上松容子さんが名前を伏せてリアルを伝える連載「謎義母と私」、今回は義母がいよいよ認知症の度合いが高まった時のことをお伝えする。

容子    20代後半で結婚。現在50代
夫     容子と同い年。営業職
明子    容子と夫の一人娘
実母登志子 昭和ヒト桁生まれ 元編集者を経て専業主婦。認知症で要介護2
義父       東京近郊在住 大正生まれ 中小企業社長
義母トミ子 昭和ヒト桁生まれ 元看護師 専業主婦。数年前から認知症の傾向で要介護1
上松容子さん連載「謎義母と私」今までの連載はこちら
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とうとう来た! 汚れ物隠匿問題

義母が帯状疱疹を患って2週間ほど。大きな声で痛い痛いとわめくほどの症状も、皮膚にうっすらと跡が残る程度まで回復し、家族は胸をなで下ろした。ただし、ウイルスに神経がやられてしまったのか、痛みだけはしつこく残った。帯状疱疹後疼痛、と呼ばれる後遺症である。飲み薬を服用しても、痛みが収まる気配はなかった。さらにその頃、義母の認知度がガクンと下がってしまった。

家族がどこにいるのかわからなくなり、寝室とダイニングキッチン、廊下を、のべつ幕なしにうろうろ歩く。不思議なことに、私たちが起きている時間帯には、2階に上がってこなかった。インターホンのことは頭からすっかり抜け落ちてしまい、階下のドアをドンドンと叩いて「ようこさーん、ようこさーん」と呼ぶ。慌てて階下に降りると、やはりトイレや風呂場がわからないと言うので、案内してやった。

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それまで、義母には排泄のトラブルはなかったが、トイレの中で失敗することも増えてきた。私たちがいるときならすぐに対処できるのだが、目を離しているときにやらかしてしまうと、汚れた下着やトイレマットを、ためてあったレジ袋などに入れて「なかったこと」にする。袋に隠しても、汚物のアンモニア臭はするからすぐにバレるのだが。ただ、その匂いに気づいて対処するのは私とヘルパーだけだった。夫と娘は、極力義母の部屋に入らないようにしていたからだ。

私は本格化していく老人介護についため息をついてしまったのだが、トイレについて一番困っていたのは当の本人だった。