生きづらくても「普通」がマシ? 人格系が空気を読みすぎるワケ

自由から逃走したい切実な動機
前回までの記事では、人間の2つのタイプ【人格系】と【発達系】の特徴と、たがいが衝突したり、ときには入れ替わったりするプロセスを解説してきました。
2つのタイプのうち多数派を占める【人格系】は、周囲を気にして、空気を読みすぎることで生きづらさを深めていきます。
それでも【人格系】はこうした「不幸」を進んで受け入れます。そこには切実な動機があると、ユング派精神分析家で精神科医の老松克博さんは説明します。
自ら進んで「不幸」になってみせるほどの動機とは一体何なのでしょうか。
現代新書の最新刊『空気を読む人 読まない人』より、【人格系】を深掘り解説した第4章の後半を、抜粋・編集したうえでお届けします。
きっとあなたも思い当たるふしがあります。

第1回:あなたはどちら? すべての人がどちらかに分けられる、人格系と発達系

第2回:衝突は避けられない? 思わず「あるある」とうなずく人間の2類型

第3回:自分の気持ちを押し殺してるせい? 人間関係の悩みを無駄に深めない方法

自己愛性人格障害とは何か

近年、精神医学領域で人格障害(パーソナリティ障害)と呼ばれているものは、次のように定義されています。

「その人が属する文化から期待されるものから著しく偏り、広範でかつ柔軟性がなく、青年期または成人期早期に始まり、長期にわたり変わることなく、苦痛または障害を引き起こす内的体験および行動の持続的様式」(文献1)

わかるようなわからないような文章ですが、偏りのある内的体験や行動の仕方を特徴とする障害であることがわかります。

偏り方は多種多様で、現在は10種類に分類されています。境界性人格障害、妄想性人格障害、演技性人格障害、反社会性人格障害、自己愛性人格障害、などなどです。

人格系は、ありとあらゆる小さな自己愛の傷つき体験を契機として、その極端な姿である自己愛性人格障害に近づいてしまう可能性があります。一過性の不安定な状態で済む場合がほとんどですが、持続的な問題として固定化する場合もあります。

そもそも自己愛とは何でしょうか。本書においては、次のように使うことに統一しています。

「自分を愛することができる能力や性質」

自分を愛するとは、自分の存在をごく当たり前に大事に思うことです。自分にはそれなりの価値があると感じている状態を意味します。健康な人にとって、自分にそれなりの価値があるのは当たり前で、あえて考えてみるまでもありません。

 

ところが、自己愛が乏しい人や、自己愛に深刻な傷を負っている人もいます。そのような人は「自分はこのままの状態でここにいてもよい」とは思えません。多くの場合、幼少期から存在をしっかりと保証してもらった経験がなく、この世界に存在していることの安全性を常に脅かされてきたせいです(文献2)

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健康な自己愛は、親や身近な大人など信頼できる人たちから「それでいいんだよ」「そのままで大丈夫だよ」と言葉や態度で肯定されつづけてはじめて育ってくるものです。そうした支えが乏しいままで「~しなければならない」「~してはならない」「~すべきである」という規範ばかり押しつけられると、自己愛の発達は歪められます。

子どもにとって何よりも恐いのは否定的な評価です。

規範や常識から逸脱すれば否定的な評価が下され、その場で見捨てられるかもしれません。これは子どもにとって死の宣告に等しいものです。健康な自己愛の発達は阻害され、脆弱になります。見捨てられないで生き延びるために、周りの人たちの隠された意図や意向を汲み取り、同調的で過剰に適応しようと行動する態度が醸成されてしまいます。

考えてみれば、たいていの人はそのようにしつけられて大きくなっています。だから、傷つきやすい自己愛を抱えた人格系が多数派を占めるのです。そして、表面的には健常の範囲内にとどまっていても、ちょっとしたきっかけで自己愛性人格障害の領域にまで踏み込んでしまう人がたくさんいるのです。

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