2021年10月31日、東急ハンズ池袋店は、37年の歴史に幕を下ろす。

「今年3月、『東急ハンズ池袋店が今秋、閉店』なるニュースを見たとき、息を呑んだ。悲しくて、切なくて、本当に本当に残念だった。昔からお気に入りのお店がなくなってしまうショックだけではない。大学在学中にライターを始め、グッズ情報誌などで仕事をしていた私にとって『東急ハンズ』は青春時代の思い出の重要な1ピース。その東急ハンズの1店舗がなくなってしまうとは……」と語るのは、ライターの若尾淳子さんだ。

2021年、現在の姿。写真提供/東急ハンズ池袋店  ©︎2021圜羽山圜

 同じように、東急ハンズ池袋店閉店のニュースに、ショックを受けている人は少なくない。私たちにとって、「東急ハンズ」とはどういう存在なのか。池袋店の魅力とともに、若尾さんに最後の取材をお願いした。

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「東急ハンズへ行けば、なんとかなる」

東急ハンズ池袋店がオープンした1980年代は、インターネット(パソコン通信)がまだマニアのものだった時代。編集部から割り振られた特集に沿って、紹介する商品のリサーチする際の武器は「足」だった。とにかく実際にお店を回り、目新しいもの、面白いものがないか探しまくった。

小さな雑貨屋さん、輸入グッズ店、老舗文房具屋、模型店、プロレスからアダルト系までありとあらゆるマニアショップ……。文字通り足を棒にして渋谷や原宿、新宿といった当時、最先端だった街を毎日、毎日歩き回ったものだ。

当時、街行く人が持っているグッズやショップの袋にも目を凝らした。友達や他の取材で出会った人にも最近流行っているものや注目しているもの・ことを聞くのもお約束だった。

歩き、観察し、聞き回って見つけた流行の発信源は、かなりの確率で「東急ハンズ」だった。ブームになっているおもしろグッズは東急ハンズに必ずあったし、「トレンドリーダーの最近のお気に入り」は東急ハンズで買ったものが多かった。流行に敏感そうな街の人々はブランドショップ(当時はDC・CDブランドの服に命をかける時代だった)の紙袋を肩にかけ、手には緑色の手のマークが描かれた東急ハンズのショップ袋を持っていることが多かった。

「ハンズに行けば、なんとかなる」はあの頃の情報誌系ライター仲間の共通認識だったと思う。目当ての商品を探し当てると価格やポップをメモしつつ、下手くそな手描きイラスト(当時はスマホも当然なく、何より店内撮影は厳禁だった)で商品を模写。近くにいる店員さんを捕まえては目をつけた商品の売れ行きを聞いたり、他におもしろそうなものがないか質問攻めにしたりした。あきらかに「お買い物客」ではない私にも店員さんは優しく、豊富な知識と熱意を持って対応してくれた。

ネタ出し会議で他のライターが探し出せなかった東急ハンズの掘り出し物を、自分だけが見つけていたときは心のなかでガッツポーズしたものだ。掲載するグッズのリストが決まると、今度は撮影のための借り出しで再度、東急ハンズへ。当時は商品画像データなどなかったから、雑誌に載せるものはすべて現物を借りてきてカメラマンに「ブツ撮り」してもらわねばならなかった。撮影時に必要な小物類も東急ハンズで調達することが多かった。撮影の真っ最中に、急遽必要になった石畳のジオラマ用パネルやモデルに持たせる小洒落たマグカップなどを買いに行かされる先も東急ハンズだった。流行モノから超マニアックなモノまで、とにかく東急ハンズにはなんでもあったのだ。