1993年、パリコレにモデルとして参加して以来、モデル活動に、執筆や講演活動にとフル回転。常に前向きかつフェアなメッセージと笑顔で、多くの人を元気づけているアン ミカさん。なぜアン ミカさんは、いつもポジティブに輝いているのでしょうか。アン ミカさんが今のアン ミカさんになった秘密を、「言葉」をキーワードにし、その言葉にまつわるエピソードをお聞きして紐解く本連載。読むだけで心がちょっとラクになる、ビタミンのようなメッセージを受け取ってください。

心に留めている31個の言葉をまとめた、『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』を発売したアン ミカさん。連載第9回では、アン ミカさんの「仕事論」をじっくりお聞きします。カレンダーにある「失敗はない、学びと発見があれば」「運がイイ!と思おう。Lucky!」という言葉のもとになった、仕事を通して得た学び、そしてつかんだ幸運とは?

辛い状況に直面しても、アン ミカさんが諦めなかったその経緯とは…『ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ』より

鳴かず飛ばずの“自称モデル”だった10代

私は15歳の時に、大阪の大手モデル事務所に所属しました。――こう言うと、なんだかエリート人生のように聞こえますが、当時の私は今より11センチ身長が低く、10キロ体重が多いがっちり体型。顔だって特別かわいくもなく、陸上部で頑張っていたせいで筋骨隆々、かつ日焼けして真っ黒という、およそ理想のモデルからは程遠いルックスでした。そのため、あちこちの事務所に履歴書を送っては、不採用で返却されていたのです。

そんな私がなぜ大手のモデル事務所に入れたかというと、「どうしても入りたいんです!」としつこく事務所通いをしていた私の根性と愛嬌を、その事務所の社長が買ってくれたから(笑)。ただし「高校を卒業したら事務所を辞めて、モデルをしていたというプロフィールを手土産に、普通の社会人になりなさい」という、条件付きでの所属でした。

私は負けず嫌いなので、その言葉に「なにくそ、絶対に所属している間に売れてやる!」と燃えていたのですが、やっぱりプロの目は確かですね。結局私は鳴かず飛ばずなまま、高校を卒業する日を迎えたのです。

私にも意地があったので卒業と同時に事務所は辞めましたが、モデルの仕事自体はフリーランスで続けていました。しかし、事務所にも入っていない19歳の女の子がオーディションに合格するなんて、雲をつかむような話です。私は「いつかショーモデルとして成功するために頑張っているのよ!」というプライドだけを支えに、アルバイトで細々と生計を立てていました。

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このままじゃダメだ……。そうだ、パリへ行こう!

高校を卒業してショーモデルを目指すと決めた時、父は私に3つの約束をさせました。1つめは「たまに仕事をして大金を持って帰ってくると、弟や妹の金銭感覚がおかしくなってしまう。なのでモデルになるなら実家を出ること。そして一流モデルになるまで帰ってこないこと」。2つめは「常に新聞を読んで、社会の情勢をしっかり理解しておくこと」。3つめは「いざという時に自分の助けになる資格を取ること」。

私は父の言葉どおり家を出て、アルバイトをしながらオーディションを受け続けました。ところが半年たっても何のチャンスもつかめません。8月には亡くなった母の法事がありましたが、父との約束があるので帰ることもできない。1年が過ぎる頃には、「このままじゃダメだ……。何か突破口を見つけなくちゃ」と大いに焦っていました。

そんな時に起きたのがスーパーモデルブーム、パリコレブームです。海外では、ちょうどケイト・モスさんが登場した頃でした。そこで私も「どうせ失うものなどないのだから、思い切ってパリに行ってみよう!」と考えたのです。家の中でファッション雑誌を見ながら「パリコレに出てみたいなあ」と夢見ていても、状況は良くなりませんからね。

1993-1994シーズンのパリコレクションでシャネルのショーに出演するケイト・モスさん Photo by Getty Images

とはいえ、当時、私が行ったことのある海外は、事務所に所属していた頃に参加したニュージーランドロケの1回だけ。飛行機のチケットすら、自分で取ったことはありません。知識もなければお金もないなかで、24時間かけて南回りで行く格安のオープンチケットだけを買い、パリの物価がどれくらいかも知らないまま、なけなしのお金5万円を握り締めて渡仏しました。

「今、アジア人の需要はないみたいです」

パリでは、現地に住んでいる知り合いのお姉さんの家に3泊4日の予定でお世話になりました。ところが、持ってきたお金は3日で消滅(笑)。まさかパリの物価があんなに高いとは! ともあれ、来たからにはオーディションを受けようと、片っ端からモデル事務所に電話をかけまくりました。

電話をかけて「日本から来たモデルです」と言うと、まず年齢を聞かれます。答えると「今、アジア人の需要は少ないので」と言われ、20社ほど連絡をして、アポイントが取れたのは3社だけ。それでも会ってもらえるだけありがたい。さっそく足を運ぶと、ちょうどシーズン前だったこともあり、各国からたくさんのモデルたちがオーディションを受けに来ていました。

ある事務所では廊下に長い列ができていて、やっと自分の番が来たと思ったら、受付の人が私を上から下までジロリと見て「ごめんなさい、うちでは無理です」と一言。アポイントを取った相手に会う前に、門前払いをされてしまったのです。また別の事務所では、ロシアから来て、親御さんと一緒に事務所巡りをしている絶世の美女に遭遇。「なんて大人っぽくてキレイな人なんだろう」とウットリ見ていたら、なんと若干13歳の女の子だった、なんてこともありました。

すべてが戸惑うことばかりでしたが、こちらも大金を使って来た身です。あとには引けないと、3社目のオーディションの際は、フランス語が話せるそのお姉さんに一緒について来てもらいました。

案の定、その事務所でも不採用。そこで追い返される前に「ダメならダメで、せめて学びを得てから日本に帰りたい。私のどこが悪いのか教えてほしい」とお姉さんに通訳を頼み、具体的な理由を聞いてもらったのです。

果たして先方から返ってきたのは、思いもしなかった言葉でした――。

◇こうしてパリに飛び込んだアンさん。事務所から返ってきた言葉とその後の行動は、後編「私服までダメ出し…アン ミカが「パリのモデル事務所ショック」から起こした行動」で詳しくお伝えします。

衣装協力/ADORE  abiste 
スタイリング/加藤万紀子  ヘアメイク/ K.Furumoto【&’s management】
構成・文/上田恵子