「悪気がない」けど居心地が悪さがつきまとう

この件に関して、学校は悪気がないと思う。そして、学校の立場から見ると、差別をしているとは、微塵も思っていない。むしろ「純日本人」とまったく同じような扱いしている。

日本でも、意図的な悪気がある差別はもちろんある。こういったものはどんな国でもあるので、日本が特別に悪いとは思わない。ただ、「悪気がない」「意図的じゃない」差別は日本の社会に蔓延している。

今回の友人の娘の校則の事件を見ると、冒頭で話した私が税務署やカード申請で感じた不都合と同じだ。ある前提ありきで社会が動いている。「日本の中学校に通っている生徒たちの髪の毛の質やケアはみんな一緒である」ということだ。つまり、「純日本人」の髪質以外の子どもが学校に通っているという前提がまったくない

学校には悪気はない。でも、ときは2021年。さまざまな外国人が暮らす中、多くの学校には「日本人だけの視点しかない」。photo/Getty Images
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私が来日してから25年の間に、日本は確実に前に進んでいる。日本人と同じような住民票になったし、ビザの制度も改善された。そして、「やさしい日本語」という社会運動のおかげで、日本にいる外国人の日常生活が少し楽になった。

けれど、オリンピックでみえた様々な差別問題や、その後報道された名古屋入管の収容施設で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの事件を見ると、まだ多様性と人権侵害への意識が薄い社会であることは明らかだ。

私は長年日本を愛し、日本の国籍を取得しようとしている。日本に対しての愛情はとても深い。でも、きっとこの記事を読んだ方たちの中には、「文句があれば母国に帰ったら?」「なんで外国人に合わす必要あるの?」みたいなコメントする人がいる。

私は、日本が母国のアメリカみたいな国になって欲しいわけじゃない。むしろ、アメリカみたいにならないで欲しいと思っている。日本の独特な文化と国民性があるからこそ、日本という国は私にとって魅力的な国なのだ。でも、多様性はまだまだそこまで魅力的な状態にはなっていない。だから、多くの外国人はさまざまな魅力が溢れている日本文化が見えず、苦しんでいる毎日しか見えない。日々、自分が日本人じゃないという現実に気づかされるのだ。きっと多くのマイノリティーの方が同じ壁にぶつかっているはずだ。

つまり、「典型的な純日本人」以外の人にとって、現代の日本の社会は生きにくいところになっている。私みたいに、何回やっても永遠に楽天カードの申請ができない外国人はきっと山ほどいる。そして、友人の娘さんみたいに、校則に引っかかる外国ルーツの子供も少なくはない。名前と見た目は、人間のアイデンティティーだ。それを認めてくれない社会は、アイデンティティーが拒否されていると同じだ。