「ルールが絶対」。各論しか進まない日本の現状

僕たちは「あまりにも人道的配慮に欠けているのではないか」と抗議をし、結局最後まで食料を配布しました。
ルールが重要であることは分かります。いろいろな団体が好き勝手に都庁の敷地を使い出したら、収拾がつかなくなるでしょう。特定の団体にだけ使用許可を出すわけにはいかないということも分かります。でも、日々の食事に事欠く人の命の前で、ルールを元に追い出すことはあっていいのでしょうか。

例えば目の前で誰かが溺れていたとき、人は誰でも、まず浮き輪を渡そうとするはずです。そのとき、本当に泳げないのか、泳ぐ努力はしているのか、この人を助けることは不公平ではないのか確認し、納得できてから浮き輪を渡す。これが日本の行政のやり方のように感じます。もっと人間味、思いやりのようなものをくみ入れる柔軟性、幅があってもいいのではないでしょうか。

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さらに、注目したいのが、コロナ禍の生活困窮者に対する公的支援が、この1年ほぼ止まっていることです。事業者に対しては雇用調整助成金や持続化給付金ほか種々の支援を数兆円規模で行っているのに、個人に向けては昨年の定額給付金や「アベノマスク」くらいのもの。あとは特例の貸付や低所得の子育て世帯に対する特別給付金などで、全員が利用できるものではありません。

年明けの国会で菅前総理は「最終的には生活保護がある」と言いました。でも生活保護は貯金がほとんどなくならないと利用できないのです。もっとその手前の、貯金を取り崩しながら生活している人が生活保護を受けずに済むような、予防的な施策が必要ではないでしょうか。

写真は2021年2月2日の会見。緊急事態宣言を出していた都府県の中で栃木県以外の延長を発表した。「最後は生活保護」発言は1月27日の参院予算委員会での発言だった Photo by Getty Images

コロナ禍ではこのような公的支援の脆弱さが明らかになったと感じています。
そもそも、貧困問題の解決をいかに進めるかの枠組みが欠如していると思います。

この10年で、貧困問題に関する理解は確かに進みました。今や「日本には貧困問題があって、みんなで解決しなければいけない」ということは共有されています。でも、解決策については、各論でしか進んでいません。貧困で生理用品を買えない人がいるという問題が浮上すると、すぐに学校のトイレに生理用品を配置する活動が始まりました。これはとてもいいことですが、背景にあるそもそもの貧困をどう解決し、どう防ぐかという議論にまでは進みません。範囲が広すぎるから、誰も手を付けたくないのかもしれません。

本来は、日本社会が富をどう再分配し、貧困問題をどう扱っていくのか、必要な人に必要なものを提供するのか、あるいはその人が努力をして乗り越えられるように制度を整えるのか、総論を話し合うべきです。大枠が示されたら、その中で状況に応じた柔軟な対応も可能になり、もっと幅広く支援が届くのではないでしょうか。