子どもはなぜ泥遊びにハマるのか?

四日市の幼稚園で園庭を森にしちゃったときにわかったことがあります。子どもたちは水と泥と砂と土があれば延々と遊ぶんです。

いま私がたどり着いて来ているのは、からだの中にぜんぶあるってこと。何のためにこのからだをもってここにいるかとか、どこに向かって生きていくのかとか、ぜんぶからだの中にしくまれているというか。そのしくみによって、子どもたちはああいうふうに遊んで、必要なものを獲得していく……。
 
最初に「あっ!」と思ったのは火遊びなんですよ。火をたくと必ず子どもたちは集まります。棒きれを持ってきて燃やしてはそれを消してみたり。初めのころは私も「危ないからやめましょう」って言ってたんですよ。でもね、ぜんぜんそんなの聞いてくれない。
 
それでしかたなく放っておいて、観察して、なんでそんなに好きなんだろうと考えたら、「あ、そっか。人間になるためだ!」って。火は人間しか使わないわけだから。
 
そう考えてみると、「あぁ、そうか」と。子どもが本能的に好きなことって、ぜんぶヒトの進化の歴史をたどっているんだなと。火を扱って、穴を掘って、石を集めて、泥をこねて、枝を道具にして。

たんぼのほかに畑もあって、そこの管理をあるお父さんにお願いしたら、それがきっかけで農家になっちゃった。そのひとがいま熱心に取り組んでいるのが種を残すこと。いま品種改良で、種ができない作物が多いじゃないですか。このようちえんを「種の図書館」にしたいって言ってくれています。

撮影/おおたとしまさ
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畑に種をまいてみるとわかりますけれど、やっぱりダイコンはダイコンにしかならないし、ニンジンはニンジンにしかなりません。科学的にいっちゃえばゲノムとかいう話になるのかもしれませんが、こんなちっちゃな種の中に、ニンジンになる地図が折りたたまれています。

人間にも、そのひと自身になる地図が最初から折りたたまれているはずですよね。そこへの信頼感が私にはあります。そこのところを信頼すれば信頼するほど、その子らしさが大きくなっていきますよ。

教育によって人間が形成されるのではなくて、この子の中にあるものに合ったところに初めて教育というものが成立するんだろうと思います。

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