高校のホールにあるグランドピアノを毎日弾いていた

中学時代は音楽室で、高校時代は、エントランスホールに置かれたグランドピアノをいつも弾いていたという。友達からリクエストされたJ-POPも、ジャズも、ロックもなんでも弾いた。でも、一番彼女が楽しんでいたのが即興だった。

「クリスマスにはクリスマスソングを、バレンタインデーなら、そのホールに集まるカップルのために、ロマンチックな曲を、先生が通り過ぎるときは、その先生をイメージした曲を弾いたり、目の前に広がる景色に、即興でBGMをつけるような感じでした。そうやって、ずっと楽しんで弾いていました」

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大学は法政大学に進んだ。当時から、アメリカの音楽学校には行きたいと思っていたが、あえて日本の大学、それも音楽大学ではない普通の総合大学に進んだ理由を、日本の大学にも行ってみたかったし、アメリカに行くのは「『行きたい!』という気持ちがマックスになるまで待とうと思ったんです。もうこれ以上我慢できない!アメリカへ行かずにはいられない! そういうタイミングで行かないと、向こうの音楽学校へ入っても、埋もれてしまんじゃないか、必要なことが吸収できないんじゃないか、と思っていました」と、2005年の秋に刊行されたノンフィクション『サマーレインの彼方』(幻冬社)で語っている。

「アメリカに行くときも、言葉が通じないことや、生活様式の違う国に行くことへの不安はゼロでした。それは、『泳げない』ってことを考えずにプールに飛び込んでいた3〜4歳の私の好奇心と似ていると思います。絶対的に楽しそうでキラキラしたものがあると、それしか見えなくなるんです

言葉に対する不安がなかったのは、音楽が世界の共通言語であると、身をもって感じていたこともある。初めて台湾で演奏したときも、後で何か話しかけられ、言葉はわからなくても喜んでいることはわかった。演奏を楽しんでくれたことはわかった。ピアノを弾けば言葉は通じる。アメリカにも、演奏しに行くんだし大丈夫。そう思っていた。

「もちろん、生活するには英語は必要でしたが、アメリカは移民の人が多いので、文法的に間違っていても、物おじせず話して暮らしている人が大勢います。きちんとした文法で話さなくても、意図することはだいたいわかってもらえる。例えば、何かものを買うときに、最初は、『I want〜』とかつけなきゃいけないって思っていたのですが、実際には、『banana, please』で全然よかったりして(笑)」

Photo by Aya Kishimoto