日本人アーティスト唯一となるブルーノート・ニューヨークでの13年連続公演を開催、世界中で愛されるピアニスト・上原ひろみさん。9月には「上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット」名義で弦楽四重奏とのコラボによるアルバム『シルヴァー・ライニング・スイート』をリリースした。それを記念して行われたインタビューを、2回に分けてお届けする。
前編では、育ったのは音楽一家というわけではない、ごく普通の家庭だったという上原さんが、どのように世界的なピアニストになっていったのか、「習い事」として始めた6歳の頃から遡ってお伝えする。

Photo by Aya Kishimoto
上原ひろみ(うえはら・ひろみ)
1979年静岡県浜松市生まれ。6歳よりピアノをはじめ、同時にヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。1999年ボストンのバークリー音楽院に入学。在学中にジャズの名門テラークと契約し、2003年アルバム「Another Mind」でデビュー。11年、スタンリー・クラークとのプロジェクト作「スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング上原ひろみ」で第53回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞」を受賞。17年には、日本人アーティスト唯一となるブルーノート・ニューヨークでの13年連続公演を開催。20年8月からは、ブルーノート東京にてシリーズ企画「SAVE LIVE MUSIC」を展開している。21年7月、東京2020オリンピック開会式に出演。
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ごく普通の「習い事」として6歳からピアノをスタート

彼女の奏でるピアノは、いつも、一期一会の出会いとリンクしている。ピアノがある場所を包み込む空気、そこから見える景色、「どんな演奏をするのかな?」と自分に興味を向けるお客さんの顔、顔、顔――。自分の演奏するピアノを聴いて、目の前の人が笑顔になる。その快楽に取り憑かれて、ずっとピアノを弾いてきた。

ピアノとの出会いは、6歳のときだ。水泳やそろばんといった普通の習い事として母に連れられて音楽教室に通い始めた。そこの先生である疋田範子さんは、明るくてとてもエネルギッシュ。子供にピアノを教えるときも、「赤い色を弾いて」「お母さんのイメージで」など、音符でなく音のイメージで覚えさせるような、ユニークなレッスンを行っていた。

「先生の教え方のスタイルが、私に合っていたんだと思います。いつもすごく楽しそうで、常に元気! 先生のお教室に通い始めてからもう35年ぐらい経ちますが、元気じゃない先生は一度も見たことがないです。私がこれまでの人生で出会った全ての人の中でも、上位5本の指に入るエネルギーレベルの高さ。楽譜を買うと、よく『夢ある人生を!』と書いてくださいました。また、先生のお母さんが出してくださる自家製の梅ジュースがすごく美味しくて、それもレッスンに行く楽しみの一つでした(笑)」

8歳の上原さんに、ジャズの名盤を聴かせてくれたのも疋田先生だ。当時は、ピアノの他に、水泳とそろばんも習っていたが、上原さんが通った習い事には、必ず「梅ジュース」のような“嬉しいおまけ”がついていた。

「水泳教室の前には、美味しいフィッシュバーガー屋さんがあって、水泳教室に行けば、帰りにフィッシュバーガーが食べられた。そろばんも2年ぐらい通いましたが、その教室では、伝票計算などのテストで、いい点数をとると商品がもらえるシステムでした。当時、一番いい商品が鉛筆削りで、それが欲しかったことをすごく覚えています。子どもが習い事を続けるためには、おまけも意外と重要かもしれません(笑)。そろばんも水泳も、私にとっては“楽しい”と思える場所でした」