2021.10.10
# 皇室

皇后・雅子さまの「気を許せる側近」野村一成氏、彼が私に語っていた「皇室」のこと

皇室記者からの追悼

「野村のおじさま」

天皇、皇后両陛下の最もつらい時期を支えた比類なき東宮大夫だった。7日4日に81歳で亡くなった元宮内庁東宮大夫とうぐうだいぶ・野村一成いっせいさんを悼む。

2006年4月、駐ロシア大使を退任して、皇太子ご一家(現在の天皇ご一家)のお世話をする宮内庁東宮職のトップである東宮大夫に就任した。1960年代の若かりし頃、駐ソ連大使館で、皇后雅子さまの父・小和田恒さんと共に勤務したことがあり、まだほんの3、4歳ほどだった雅子さまから「野村のおじさま」と呼ばれ、慕われたという。適応障害の治療が続いていた雅子さまにとって「気の許せる側近」の存在が必要で、野村さんの東宮大夫就任にはそうした事情が作用したというのが、衆目の一致するところだった。

駐露大使時代の野村氏(左から2番目)〔PHOTO〕WikimediaCommons(http://www.kremlin.ru/)
 

野村さんは1940年、名古屋市で生まれ、兵庫県の淡路島で少年時代を過ごした。東大法学部卒業後、外務省に入省。いわゆる「ロシア・スクール」に進んで欧州や旧ソ連の日本大使館で勤務した。ソ連課長などを経て1999年には「国内大使」の「沖縄担当大使」となり、2000年の沖縄サミット開催に力を注いだ。その後駐ドイツ大使、駐ロシア大使を歴任した。

2006年に東宮大夫になった時、雅子さまは療養生活に入ってまだ4年足らずで、病状も深刻だった。大夫として求められた任務は、ひとえに「皇太子ご一家を支え、守ること」「雅子さまの心を解きほぐし、回復を図ること」だった。同じ年に宮内庁常駐記者となった私の記憶に焼き付いているのは、週に1度の定例記者会見で、記者からの辛辣な質問を一身に受け止めて耐え続けていた姿だ。

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