2021.10.24
# ビジネス

池袋マルイが閉業…激変する西口に「魔窟」と呼ばれたマーケットがあった

戦後の街の記憶はほぼ残されていない
フリート 横田 プロフィール

境界を感じさせない自然な風景

普通の暮らし、という古老の言い回しがなんだか私の耳に残った。バラック街の最末期、迷宮のような路地が作りだす「曖昧さ」は、すでに高度成長期に突入した昭和30年代後半の池袋駅前でも機能し、インモラルな様を露呈しながらもバラック外生活者という属性の人々に〈境界〉を感じさせない自然な風景を作り出していた。

取り壊し直前の年のマーケット。路地に光は差さなかっただろう。(提供:豊島区立郷土資料館 高木進一氏)
 

だが都市の曖昧さはいつか明確さに置き換わる。複数回にわたる立ち退きを経て、昭和37年、バラック街はすっかり消えた。中の人々も去った。自己資金をためて他所に住まいを構えた人、立ち退き料を得て出ていった人、誰もが「もっといい暮らしを」と願って路地を後にしたはず。

戦後史を追う時いつも、この「普通の暮らし」の人々の、前へ向かおうとする真情、明るさに出会い、私は心が熱くなってしまう。同時に、街をひとつの有機体と見立てたとするなら、彼らが去ったことで進化の因子が失われた気がしてならず、寂しさにもぶちあたる。

そう捉えるべきか決めかね、私の心が曖昧さに満ちたとき、昔話を話し終えたときの一人の古老の苦笑が思い出されてくる。

「でももう、私以上にあそこを知っている人は、このあたりにはいないかな」

世代交代のためだけじゃない。駅前一等地にはそもそもすでに土地の人が少ないのだった。バラックを去った人など、ついに一人も出会えなかった。わずかに話を聴けた人は全て同じ属性、元から自らの地所を持ち、今は不動産オーナー化している人々。

ほとんどの場合、都市の戦後史は彼らの声をもとに記述される。昔はそれでも朝雨戸を開ければ、挨拶をかわしあえた元商店主たち。そんな彼らさえも今や多くは別の場所で暮らし、貸した土地の上に立つ商業ビルには大手チェーンの飲食店ばかりが入居する。私がただ歩いて尋ねるだけだったなら、天を仰いだだろうな。「ここは街の過去を忘れた街か」。

取り壊し直前の年のマーケット。路地に光は差さなかっただろう。(提供:豊島区立郷土資料館 高木進一氏)

「西口は台湾華僑が多くて、皆さん商売がうまかった」なんて口々に古老達が言った話も忘れられるだろうか。商店会やコミュニティに自然に溶け込み、彼ららしい風韻を街に付けていたとも思うが、彼らももう街の表面には姿をあわらさない。きっと何人もの洪がいたはずだが。

先述台湾人団体の長老格男性は、「台湾人は朝鮮の人達とは少し違う」と言っていた。戦後盛り場で事績を残したもう一つの外国人グループほどの民族的紐帯は持たず、記録もあまり残さないと。都市はもちろん何も語らない。ただ装いを新たにし続けるのみ。

戦争という厄災が偶然もたらした土地のリセットは二度と起きないし起きてほしくもないが、あらためて何か別のやり方で、さまざまな属性を混ぜ合わせられないものか。そういう気持ちが沸き起こってくる。

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