2021.10.24
# ビジネス

池袋西口「戦後の巨大マーケット」で荒稼ぎした「台湾人実業家」の正体

昭和期、「悪所」とされ、それ以上は判断停止されたまま忘れられ消えていった盛り場が街にはいくつもある。そんな場所の同時代資料を集め、残り香の漂う現地で飲みながら古老たちの昔話を聞くと、記述されたものだけから見た印象とは景色が変わる。

フリート横田氏の著書『横丁の戦後史』はそのギャップを埋め、昭和と今の街を見比べるような一冊だったが、今回はかつて、「城北の魔窟」とされた池袋西口を、改めて氏が訪れた。

スクラップ&ビルドの成れの果て

数ヶ月前、池袋マルイが44年間の営業に終止符を打ったと大きく報じられたが、池袋駅西口あたりがニュースになること自体、ずいぶんと久しぶりの気がする。営業最終日には、開店前に100人もの行列ができたそうだ。

何人か街の人たちに声をかけると、「西口を歩くことがまた減るよ」「建て替えるって、世間にマンションまだ足らないの」などと、寂しさと疑問を感じている声が聞かれた。気持ちは、大いに分かる。

だが経済原理に裏打ちされたスクラップ&ビルドは、街の凝り固まりを防ぎ、変化を促す力も持つ。感傷など一瞬でどこかへ吹き飛ばされてしまうものだ。ただし変化は、進化であるとも決まっていない。

池袋駅西口。マルイは残念ながら閉店した
 

さて、今回取り上げる「池袋西口マーケット」は、取り出して見つめやすい一角だと思う。終戦直後に生まれたバラック街で、もうそこが全く痕跡もなく消えてしまいながら、カストリ雑誌などの同時代資料、学術的調査が比較的残っているのだ。生まれてから消えるまでの「街の一生」が追いやすい。

そして、街を見てきた人々がまだわずかに残っているのも大きい。生の声から見えてくるもの、これは必ずあるものだ。観念の中の街をいじりまわすには、まだ早い。終戦という特異状況が作り出したこの一角を歩き、聞き、バラック街に姿を表しては消えて行った人々を見ることで、そこには二点の機能があったことが私に迫ってきた。点は、今に繋がる線となるだろうか。

さてまずは、昭和20年の冬にタイムスリップしよう。

関連記事

おすすめの記事