2021.10.09
# ドラマ

『北の国から』とは一体何だったのか? 放送開始40年、国民的ドラマが問いかけたもの

碓井 広義 プロフィール

倉本が私に語ったところによると、当初、フジテレビからの提案は「映画の『キタキツネ物語』(78年)のようなものを書いてほしい」だったという。ヒット映画のテレビ版を狙ったのだろう。しかし、蔵原惟繕(くらはら これよし)監督が知床の斜里町や網走でキタキツネを探して4年も粘ったような制作体制は組めないはずだと、倉本は断った。

すると今度は、北海道で日本版『アドベンチャーファミリー』(75年、米映画)のような作品はどうでしょう、と食い下がる。ロサンゼルスで暮らしていた一家が、何もないロッキーの山中に移住する物語。家族が力を合わせて大自然と向き合う姿が評判を呼んだ。しかし、北海道にロッキーに匹敵するような場所はない。倉本はこの案も退けた。

だが、フジテレビ側は「テレビを見るのは主に東京の人だからかまわない」と言う。これに倉本が怒った。北海道を舞台にドラマを作って東京の人に見せるからといって、北海道の人間が「嘘だ!」と思うようなものは作るべきではないからだ。

「廃屋」が生んだドラマ

思えば、『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ系)も、プロの板前が見て納得できるドラマだった。結局、倉本自身が新たに企画書を書くことになる。

実は、『北の国から』を書き始める2~3年前から、倉本はよく富良野の原野を歩き回っていた。そこで頻繁に目にしたのが、物語の核となっていく「廃屋」だ。中に入ると、壁に〈寂しいときにはあの山を見た〉などの落書きがあった。赤いランドセルも置いてあり、広げた雑誌『少女フレンド』の表紙には少女時代の小林幸子の写真……。まさに「夜逃げ」の光景だった。

倉本によれば、北海道には3種類の廃屋があるという。海岸に残された番屋(漁民の作業場兼宿泊所)の廃屋。山に残された炭住(炭鉱労働者用住宅)の廃屋。そして、原野に残された農家の廃屋だ。水産業、鉱業、農業……。かつて日本の繁栄を支えた第一次産業に従事した人々の家だ。高度経済成長を経て構造転換の大波の中で衰退し、やがて国に見捨てられていった。廃屋はその残骸だ。

捨てられた人たち、忘れられた人たちの無念が、倉本にペンを執らせたのかもしれない。ドラマの中で、最初に五郎たちが住もうとした家も廃屋のようなものだった。もちろん水道も電気もガスもない。

第1回で、この家に衝撃を受けた純が五郎に「電気がなかったら暮らせませんよッ」と泣きそうになって訴える。そして「夜になったらどうするの!」と続けた。この時の五郎のたんたんとした答えが、純だけでなく、私を含む視聴者を驚かせた。

「夜になったら眠るンです」――このセリフこそ、その後20年にわたって続くことになる、ドラマ『北の国から』の“闘争宣言”だったのだ。

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