白鵬「史上最強横綱の引退」に際して日本人が今改めて考るべきこと

我々はもう少し歩み寄ってもいいはずだ
西尾 克洋 プロフィール

美しいからこそ愛された

この幸せな関係が続けばよかったのだが、白鵬が強すぎたために事態は一変する。

強い相撲を見られることは幸せなことだが、ファン目線で、優勝争いという観点で見ると、どうしても退屈と言わざるを得ない場所が続く。白鵬のすばらしさを褒めるよりも、他の力士が不甲斐なく感じるのである。

そこに急成長してきたのが稀勢の里だった。

稀勢の里は大関昇進後、誰もが手を付けられなかった白鵬を、時に完ぺきな相撲で破る。判官贔屓ということもあるだろうが、この時の興味は白鵬の強さではなく、その白鵬に対抗しうる稀勢の里という論点になることが多かった。既に相撲人気は回復していたが、その中心にあるのは稀勢の里の強さと悲劇的な勝負弱さといっても差し支えないだろう。

Gettyimages

ただこの稀勢の里への“偏愛”こそが、今となっては本当に後悔すべきことだったと思う。2013年九州場所での白鵬戦勝利後の客席の万歳辺りから、白鵬の相撲と態度が徐々に変わっていく。

いわゆる横綱相撲に加えて出てきたのが、張り差しやカチ上げといった本来横綱が取ることが無い、“行儀が悪い”スタイルだった。一説には加齢による衰えから勝つための相撲を模索した結果とも言われているが、美しい相撲に美しい人格を重ねていたファンは当惑し、「狡い」「卑怯」と受け取る者も現れた。

そして、取組後の審判部批判や優勝インタビュー時の三本締め、更には敗戦後に立合いが成立していないとして土俵に上がろうとしないということもあった。土俵外での荒れた行動と土俵内でのラフな取り口は、白鵬という人格に対する批判を招く結果となった。

美しく勝つ姿と横綱として美しく振舞う白鵬をファンは愛した。だが、美しいからこそ白鵬は愛されたのであって、傷つき荒れる白鵬を全ての人が愛せる訳ではなかったのである。

しかし、白鵬は決して美しさを失ってはいない。トラブルや批判ばかりが目に付くが、現在もなお慈善活動に積極的で、相撲の底辺拡大のために自ら「白鵬杯」を主催し、多くの相撲関係者からの賛同を得て毎年1000人余りが参加する一大イベントにまで育てている。

 

白鵬に実際に会ったことがある方からは彼を批判する言葉を聞いたことが無いし、誰もがファンになってしまう人格の持ち主であることは間違いない。

白鵬は普通に接する限り、この上なく魅力的な力士ではある。一方で、問題行動を起こすこともある。そしてその問題行動が土俵上の相撲スタイルと絡められ、彼の人格を大きく否定する結果となる。ただ、問題行動がある限り白鵬の全てを肯定できないが、素晴らしい実績と人間性までが否定される訳ではない。

関連記事